三太・ケンチク・日記 -3ページ目

講談社が「大江健三郎賞」創設 選考は大江氏1人

(画像は毎日新聞)

講談社は4日、「大江健三郎賞」の創設を発表した。ノーベル賞作家大江健三郎氏(70)が1人で選考にあたり、可能性、成果を最も認めた「文学の言葉」を持つ作品を受賞作とする。賞金はなく、英語への翻訳と、世界での刊行を賞とする。第1回は06年1月から12月までの1年間に刊行された作品を対象とし、07年5月受賞作を発表する。選評の代わりに、大江氏と受賞作家の公開対談を行い、「群像」誌に掲載する。大江氏は、「世界に向かって日本のいい文学の言葉を押し出したい。日本の国内で純文学は話題にされなくなっているが、社会の中心にいる人に、もういちど小説を本気で読んでみませんか、と伝えたい」と話した。
朝日新聞:2005年10月05日


大江健三郎を、「奇妙な仕事」「飼育」「死者の奢り」や「芽むしり仔撃ち」等々、僕が10代の頃から長年見続けてきたものとしては、嬉しい限りです。そう言えば、江藤淳大江健三郎の責任編集、「われらの文学」全21巻の全集を出したのも講談社でした。
さっそく、朝日新聞夕刊の「素粒子」では、「ノーベル賞は受けたが文化勲章は断った作家が一人で選考という文学賞創設。ただし賞金はゼロ。」と揶揄?していますが。



たまたま最近読み終えた小澤征爾大江健三郎の対談本、「同じ年に生まれて・音楽、文学が僕らをつくった」を、この機会に紹介しておきましょう。活躍する世界は異なりますが、1935年の同年に生まれた彼らは、中学3年のときに現在の仕事を目指し、若手芸術家として時代の先端を走り続け、粘り強く仕事を重ね、世界的にもっとも評価される日本人として自らの人生を築き上げてきた、という点で共通しています。この本は40年来の友人である彼らが、青春時代家族教育民主主義音楽と文学、共通の友人武満徹、そして未来について、縦横に語り合った対談集です。


「同じ年に生まれて・音楽、文学が僕らをつくった」
著者:小澤征爾*大江健三郎
発行所:中央公論新社
2001年9月10日初版発行
定価:1400円+税

おもしろ自動車2題!

最新の電気自動車と、クラシックなボンネットバス、共になかなか面白い!かたや、バックしなくても車庫入れができる。こなた、ノスタルジックな姿で郷愁を誘う。お互いの領分を侵さず、それぞれが主張し合う。いいですね!



運転席が180度回転する電気自動車公開
日産自動車は30日、10月21日開幕の東京モーターショーに出展する電気自動車「ピボ(Pivo)」を公開した。ハンドルを含む運転席全体が180度回転し、進みたい方向に運転席の向きを変えられるため、バックしなくても車庫入れできる。外観も、かたつむりのような個性的なデザインを採用した。1回の充電で100キロ程度走行できる。普通の自動車は、ハンドルやブレーキの動きをシャフトやケーブルを通して機械的に車輪につなげるが、「ピボ」は電気信号で遠隔操作する仕組み。駆動部分と運転席を「分離」することで、180度の回転を可能にした。また、ハンドルにセンサーをつけ、ハンドルから手を離さずにオーディオなどを操作できるようにした。

毎日新聞:10月1日(画像:時事通信社)



40年前製造ボンネットバスが復活? 名古屋
40年前に製造されたボンネットバスが30日、名古屋・栄の繁華街に現れ、買い物客らはノスタルジックな姿にびっくり。岐阜県恵那市観光協会が、10月から始まる秋のバスツアーをPRするため企画した。春秋の限定運行で5年目の今年は、同市の合併1周年にちなみ、岩村城などの名所を車体に塗装した。バスは「トコトコぼんちゃん」の愛称通り、大通りをゆっくり走行。「秋風や自然の風景を満喫できるスローなバスで一味違った旅を」とメンバー。
毎日新聞:10月1日


過去の関連記事:ボンネットバス(さはこの湯とさばこの湯)

日本橋三越本店の「小杉小二郎展」へ行ってきました!


家人に誘われて、日本橋三越本店で開催されている「小杉小二郎展」へ行ってきました。家人がどうして招待券を持っているのかは、よく分かりません。たぶん、婦人大学?の関係でいただいたものだとは思うのですが。小杉小二郎、聞いたことがあるけど、どんな絵を描く人か、まったく分かりませんでした。花や静物、玩具をモチーフにパリのエスプリ優しい画風で人気が高い画家だということのようです。さすがは日本橋三越本店で催すだけのことがある画家のようです。小杉小二郎、略歴を見ると、家系が凄い。そうそうたるものです。恵まれています。美術史家小杉一雄を父に持ち、祖父は画家小杉放庵叔父は有名な工業デザイナー小杉二郎という芸術一家に生まれました。こういう環境にいれば、幼い頃から絵を描くようになるのも当然でしょう。


「窓辺の花と果物」

「緑壺の花」


小杉小二郎は、若い頃、一度は工業デザイナーの道に進みましたが、中川一政の絵に衝撃を受け、画家を志します。一政の元で絵を描き始めた小二郎は、1970年26歳の時に一政の渡仏に同行します。一度は帰国したものの、すぐにパリに留学、以後35年にわたりパリに画家としての拠点を移し、フランスと日本を行き来しながら独自の画風を確立しました。今回、展示してある風景画もほとんどがパリ、または、その近郊の風景です。絵画は、派手さはなく、静物や風景を中心として単純化した対象を微妙な色使いによって表現、マットな質感をもった画面は、微妙な静寂感詩的空間を醸し出しています。


「1946年の食卓」

「奇妙なカップル」


展示されている作品は絵画だけではなく、コラージュオブジェガラス絵など、全部で約130点もの作品を見ることができました。コラージュにはいいものがありました。古いコンパスや、シャベルのような古びた工具類に、鮮やかな色を乗せて描いた作品に興味を持ちました。また、新作の「百人一首」もなかなか面白い試みだと思いました。たぶん、絵画だけの展覧会だったら退屈したでしょう。でも、絵画以外で見るべきものが多いと感じました。彼はまだ還暦を過ぎたばかりです。小杉小二郎の世界、さすがは「大人のためのメルヘンを感じさせる作家」と言われる由縁です。


小杉小二郎の祖父は、日本画家小杉放庵。日光・輪王寺、二荒山神社、東照宮へ向かう道、金谷ホテルを通り過ぎ、神橋を左手に見て橋を渡り、右側に「小杉放庵記念日光美術館 」があります。

続々「街の中の実のなる木」、「石榴」と「柿」

先日、茨城県八郷町というところへ行ってきたのですが、「」が大きく実っていて、ちょうど食べ頃でした。梨の畑?の隣は「」の畑、大きな「いが」がまるで「マリモ」のようでした。梨も栗も共に、売るもので、農家が作っているものです。せっかく行ったのだから、しっかり画像を残しておけばよかったのですが、梨をお土産にもらったら、すっかりデジカメで写すことを忘れてしまいました。梨と栗の画像があれば「小さい秋」と題して「実のなる木」の記事を書けたのに・・・。





8月半ば頃、「街の中の実のなる木」と題して、「ザクロ」と「キウイ」の記事を載せました。今回は「街の中の実のなる木」の第3弾、「石榴」と「」です。八郷町と違って、街中にある木で、農家が作っているものとは違います。石榴はだいぶ色づいてきました。とは言っても、石榴も食べられるようになるにはちょっと早い。も少しは色づいてきましたが、食べられるのはまだまだ先のようです。が、しかし、都会の街中でも実のなる木があるということで、画像を載せておきます。



過去の関連記事:続「街の中の実のなる木」、「ザクロ」と「キウイ」

           街の中の実のなる木

日本人建築家、師匠と弟子、ダブルで快挙!

金沢21世紀美術館

「SANAA」の妹島和世(左)と西沢立衛


ルーブル美術館 別館の設計を日本人建築家が担当

パリのルーブル美術館が仏北部パ・ド・カレー県ランスに建設を予定している別館「ルーブル・ランス」の設計を日本人建築家、妹島和世(せじま・かずよ)、西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)両氏の事務所「SANAA」が担当することが26日、決まった。設計の国際公開競技には約120組が参加。26日開かれたノール・パ・ド・カレー地域圏議会選考委員会の結果、最終選考に残った3組の中から選ばれた。SANAAの設計案はコンクリートと金属の幾何学的な組み合わせを基盤に、自然光を最大限に活用するためガラスの平屋根を採用している。地域圏議会副議長のラング元文化相は記者団に「空に向かって開かれた透明感あふれる設計で、環境を大切にしている。フランスの重要な公共建築物女性(妹島氏)が手がけるのは初めてだ」と述べた。「ルーブル・ランス」建設は仏政府が進める地方分権政策の一環で、08年末に完工、09年初めに開館の予定。パリのルーブル美術館の収蔵品のうち数百点が展示される。
毎日新聞:9月27日

せんだいメディアテーク

伊東豊雄


建築家の伊東豊雄さん、英国の建築賞を受賞

ロンドンの王立英国建築家協会(RIBA)は29日、06年のロイヤル・ゴールドメダルを日本人建築家、伊東豊雄さん(64)に贈ることに決めたと発表した。同賞は150年以上の歴史を持ち、世界の建築に大きな影響を与えた建築家や団体に贈られる。日本人ではこれまで、丹下健三磯崎新安藤忠雄の各氏が受賞。授賞式は06年2月15日、ロンドンで行われる。伊東さんは「シルバーハット」(84年、東京都)、「せんだいメディアテーク」(01年、仙台市)などの建築を設計している。
アサヒコム:2005年09月30日


別館とはいえルーブル美術館の設計を、世界の強豪を抑えて、日本人建築家が獲得しました。妹島和世西沢立衛の「SANAA」です。これは快挙です。実績としては「金沢21世紀美術館」があります。
そして、なんと、妹島の師匠である伊東豊雄が、RIBAのロイヤル・ゴールドメダルだそうです。これも快挙です。

師匠と弟子ダブルで快挙です。素晴らしいですね。

レインボーブリッジを7色にライトアップ

  
毎日新聞                 時事通信社
  

10月1日からの民営化を記念して首都高速道路公団は30日夕から一晩だけ、首都高速のレインボーブリッジを虹色にライトアップした。444個のライトが、普段の白色とは違う赤、だいだい、黄、黄緑、緑、青、紫の7色に彩られ、幻想的な雰囲気をかもし出した。虹色ライトアップは「首都高速道路株式会社」発足に合わせ、首都高の魅力をアピールするために実施。この日午後5時半過ぎ、橋が一望できる「アクアシティお台場」(東京都港区台場)で、元F1レーサーの片山右京さんやタレントの乙葉さんらを招いて点灯式を行った。スイッチが押され、二つの主塔と橋脚などがレインボーカラーに照らし出されると、会場の観衆から歓声が上がった。
毎日新聞:10月1日


東京の都心と台場を結ぶレインボーブリッジが、通常の白色からその名の通り、7色にライトアップされた。民営化で、首都高速道路株式会社に変わるのを記念して行われた。
時事通信社:9月30日



毎日新聞時事通信社の記事と画像を並べてみました。

こうなると、ただただ画像の優劣だけが焦点かな?

ブリッジの前面に恋人同士か、屋形船かは、好みの問題?

それにしても、一晩だけとは、予算の無駄遣い

恒例、楽隊の練習と、なぜかミニホース!



家に帰って家人に、また公園でM幼稚園の楽隊の練習が始まったよ、と言うと、すかさず、あれはR幼稚園ですよと反撃されました。今までずっとM幼稚園だと思っていたのに、と言うと、M幼稚園は園庭が広いからわざわざ公園まで出かけてやる必要はないでしょ、R幼稚園はリトミックや早期音楽教育の幼稚園だし、園庭も狭いから公園で練習しているんでしょ、と言われてしまいました。緑道沿いの小さな公園で、毎年恒例、幼稚園児が楽隊の練習をしていました。子どもたちは、初めての団体行動ですから、列をなして歩くのもママなりません。キョロキョロして落ち着きのない子もいます。まだ若い女の子のような先生が子どもたちを相手に四苦八苦。楽隊はピアニカと大太鼓小太鼓の編成です。一番前には旗を持った子が二人。運動会で披露するのでしょう。なんとか列をなして、真っ直ぐ歩くことだけはできたようです。




そこへ現れたるは、なんと、少し小さめのお馬さんです。お馬さんを連れてきたヒゲのおじさんがオーバーオールのお友達と話し込んでいます。子どもたちの楽隊の音を気にするようなこともなく、お馬さんは悠々と公園の草を食べています。子どもたちも、お馬さんなんか気にしていられません。必死の形相で身体を強張らせて先生の言うことを聞いています。さて、この子馬、この界隈では有名人です。名前は「しんちゃん」と呼ばれていますが、本名は「しんのすけ」と言うらしい?ヒゲのおじさんに連れられて、緑道の草を食べて、近くの豆腐屋さんでおからをいただいて帰宅するのが日課のようです。どこで飼われているのか、誰も知りません。一説によると、マンションの一室だとか?飼い主に恐る恐るロバですかと聞いた人が、ミニホースですと言われてダジダジになったとか?

Bunkamuraで「ギュスターヴ・モロー展」を観る!


ギュスターヴ・モローと言えば、神話や伝説の世界を題材に、19世紀末のパリにおいて独自の耽美世界を構築した象徴派の巨匠と言われています。ずいぶん昔に高階秀爾の記した「近代絵画史」(中公新書)を読んでいたら、ギュスターヴ・モローは晩年、「マティスやルオーなどフォーヴの画家たちを育て上げた教育者」とあったので、奇異に感じたことがあります。今回「ギュスターヴ・モロー展」のHPで確認しましたら、やはり「1892年国立美術学校の教授となり、マティス、ルオーら時代を担う画家たちを育てた」とありました。「マティスやルオー」と言われると、モローとは作品の傾向が違うように思いましたが、確かにモローは教育者としても優秀だったようで、意外な一面を感じました。


「出現」

東急Bunkamuraのザ・ミュージアムで「ギュスターヴ・モロー展」を観てきました。パリにある「フランス国立ギュスターヴ・モロー美術館」所蔵の作品を公開しています。珍しいのは、前期と後期に分けた公開の仕方です。油彩画48点と扇1点は通期で展示し、水彩・素描230点は前期119点、後期111点に分けて展示します(全279点)。前期は8月9日から9月11日まで168点を展示し、後期は9月13日から10月23日まで160点を展示します。9月12日の月曜日、1日の休館日だけで100点以上の作品の展示替えをしたようです。従って、僕が観てきたのは「後期」ということになります。


パリのギュスターヴ・モロー美術館は、モローが住宅兼アトリエとして使っていたところを、1898年の死去に際し、自宅建物と膨大なコレクションを国家に遺贈して美術館として生まれ変わった世界初の個人画家の美術館です。ここには約14,000点もの驚くべき数の油彩画、素描、資料類が遺されています。展示室は、作品が壁中を覆い尽くすように展示されており、夥しい数のデッサンや水彩画も閲覧できるようになっています。


「エウロペ」あるいは「エウロペの誘拐」

その道に詳しい人に聞いたのですが、ギュスターヴ・モロー美術館は、元々個人の住宅兼アトリエですから美術館としては狭く、その割には作品数が多いので、展示の仕方に一工夫してあるそうです。油彩画は別にして、水彩画や素描画は、入れてある額が二重になっていて金具で止めてあり、展示替えの時にはその金具をはずして、裏側に隠れている作品を表側に出すという方法をとっているそうです。ですから、額縁が通常より分厚くなっているそうです。僕がそのことを聞いたのは作品を見て帰ってからだったので、残念ながら会場では確認はしていません。そんな方法があるので、前期と後期の大幅な作品替えが可能になったということのようです。

「一角獣」

モローは、「自分の内的感情以外に、私にとって永遠かつ絶対と思われるものはない」とし、近代化の中で人々が置き去りにしてしまった心の世界に思いを馳せました。それは明るい陽光のもと、目前で繰り広げられる現実に目を向けた印象派とは対極をなすもので、神秘的な瞑想への誘いでもありました。ギリシア神話や聖書の物語に画想を求めたモローは、愛と憎しみの相克、生と死、聖と俗など人類の普遍的なテーマを、卓越した想像力で視覚的イメージに捉え直し、きらびやかな色彩で宝石のような絵画を創り出しました。


モローは、1つの主題や作品に対して、夥しい数の素描や習作を残しています。今回のモロー展は、そうしたモローの詩的絵画世界を、ギリシア神話から「神々の世界」「詩人の世界」「英雄の世界」など、そして聖書物語から「サロメ」などの主題に分けて展示してありました。分類すれば、同じザ・ミュージアムで4月末に観た「ベルギー象徴派展 」と同じ時代、同じ傾向にあると言えます。大きくは「世紀末芸術」「世紀末絵画」にあたり、そして「象徴派」「象徴主義」になります。


「モデルを使った《サロメ》のための習作」と「サロメ」

モローの絵は画像は明確ですが、画家のメッセージは難解です。を描き、エロスにこだわります。社会通念から逸脱した退廃的なテーマです。そのための素材を、神話や伝説聖書や文学に求めます。モローは母親との癒着が強い、極度に夢想的な男だったと言われています。そうした彼が、女性に対する男性の幻想をロマンチックに描きます。「出現」や「エウロペ」、そして執拗に描いた「サロメ」から、女性が強くなりつつある19世紀後半の社会を見ることができます。

「24歳の自画像」

ギュスターヴィ・モローの作品をこれだけまとめて観るのは、僕は初めての経験です。「ベルギー象徴派展 」と併せて考えると、「世紀末」の「象徴派」について多くを学びました。ざっと見ての感想は、素描を除いて、油彩画、水彩画ともに、描きかけの印象が強い作品ばかりだということです。確かに、部分的にはこれでもかというほど詳細に描いている個所もあります。写真で見ていると完成したようにみえるものが、実際に展示してある作品を見ると、制作途上の未完成な作品に見えるのです。「世紀末」の「象徴派」の作品を僕はあまり好きではないから、特にそう思うのでしょうか。神話や伝説、聖書を知らないから、どうしても描かれているテーマがよく分からないということもあります。いずれにせよ、世紀末と言えば「アール・ヌーヴォー」という新しい装飾様式があり、モネやセザンヌなど「印象派」とはほぼ同時代なので、余計に奇異な感じを受けました。「世紀末」といえばもう「モダニズム」の萌芽がみられる時代ですから。


Bunkamuraザ・ミュージアム


関連記事: 「ベルギー象徴派展」を見てわかったこと!

河野多恵子の「秘事」を読む!


河野多恵子について、このブログで触れたのは2個所あります。いずれも芥川賞を受賞した作品の「選評」の個所を引用しています。2月20日の個所。いつも歯切れのいい河野多恵子、今回は「グランド・フィナーレ」については、見事に一言もふれていません、無視、無視3月15日の個所。花村萬月の「ゲルマニウムの夜」。河野多恵子「確かな手応えを感じた。主人公の<悪あがき>にある真摯さに深い説得力があり、いたく引き込まれた。」と、絶賛。とあります。8月17日に書いた<芥川賞受賞作、中村文則の「土の中の子供」を読む!>では、河野多恵子の「選評」については、僕は特に触れてはいませんが、それは「今回の候補作には、ぜひとも受賞作にしたいものがなくて残念だった。」とあるからです。


そうです、河野多恵子は芥川賞の選考委員でもあります。著者略歴によると、1926(大正15)年、大阪生れ。大阪府女専(大阪女子大学)卒。「文学者」同人になり、’52(昭和27)年、上京。’61年「幼児狩り」で新潮社同人雑誌賞、’63年「」で芥川賞を受賞。著者に、「不意の声」「谷崎文学と肯定の欲望」(共に読売文学賞)、「みいら採り猟奇譚」(野間文芸賞)、「後日の話」(毎日芸術賞、伊藤整賞)など。日本芸術院会員。という、そうそうたる経歴の持ち主です。



そこで、本棚から引っぱり出して手にしたのがこの本。「小説の秘密をめぐる十二章」(平成14年3月15日第1刷発行)です。内容はというと、こんな本です。「小説はいかに書くべきか、文学の心得とはなにか。いまもっとも豊潤,かつ過激な作家河野多惠子が明かす創作の秘密。「デビューについて」から始まり「作家の嫉妬について」「剽窃の危険」に至るまで。『文学界』連載の単行本化」。河野多恵子のことを、ほとんど知らないで読んだ本、この本には参りました。歯切れがよくてテンポがよくて、言いたいことをものの見事にズバリと言ってのけます。「小説の書き方」を書いた本が数限りなく出ていますが、この本の右に出るものはありません。何度も読み直したい一冊です。


「河野多恵子のことは、ほとんど知らない」と書きましたが、本棚を探してみると「純文学書き下ろし特別作品」と銘打った、新潮社版、ハードケース入りの「回転扉」という本が出てきました。1970年11月20日発行ですから、今から35年前の作品です。ケースの裏を見ると、僕の好きな作家、吉行淳之介大江健三郎が「短評」を書いています。読んでいたんですね、35年前に!当然、内容についてはほとんど忘れていますので、これも読み直したい作品の一つです。


本の帯には「夫婦という《かくも素晴らしき日々》21世紀の小説を先駆ける傑作長編!」とある、河野多恵子の「秘事」を読みました。内容は以下の通り。「幸福な結婚」に隠された秘密とは。三村清太郎と麻子は、大学で知り合った、昭和11年生まれの同級生カップル。夫は一流の商社で順調に出世し、妻は聡明で社交的な、周囲も羨む睦まじい夫婦だ。だが、この結婚にはある事故が介在していた。周到に紡がれた夫婦の日常の結晶。とあります。


実は僕は「秘事」というタイトルに惹かれて、やや不純な気持ちでこの本を読み始めたのですが、完全な肩すかしでした。帯に書いてある通り、「夫婦はかくも素晴らしい」という小説であって、タイトルの「秘事」から想像するような小説ではまったくありません。交通事故の縫合手術で取りわすれられた糸をあとで抜く、そのときの感じが性交の感じと似ているといって顔をあからめるところや、夫婦がベッドではなく床に降りて、畳のもつ固さ快楽にふさわしい褥であるという、河野多恵子らしさが現れているところがあるにしても。男と女が結婚をし、共に淡々と生活をし、一生を終える。取り立ててなにが起こるというのではない平々凡々な生活、これほど「健全な夫婦」は他に例を見ません。昭和11年生まれの夫婦。読み終わってみると、高度経済成長期の一番いい時代に生きた夫婦であったということができます。僕らの時代は、こう簡単には行かないと思いますが。


麻子が死に瀕した場面で、以下の会話があります。
「麻子、僕はあんたが好きなんだ。何ともいえずに好きなんだ」と三村はベ ットの傍に屈んで言う。「ありがとう」と彼女が言った。「─どういうところが好きなの?」「感じがいいもの、ほんまに気持ちいいもの」「そうお風呂みたいね」と彼女は言って、けたたましく笑いだした。「ああ、おかしい」と言っては、ますます笑う。三村は笑顔になってやりつつ、ますます哀しくなる。
─僕はあんたとひたすら結婚したくて結婚したんだぞ。侠気や責任感はみじんもなかったんだ。それをあんたに言うてやりたかった。だが言うてやれなかった。これまで決して言わなかった。─彼は自分の臨終で言い遺してやるつもりだった。その言葉を無言で彼女に告げ続けた。


彼は自分の臨終でそのことを言い遺してやるつもりでした。予期に反して彼女の方が彼より先に臨終を迎えることになり、彼はそれを無言で病床の彼女に告げます。清太郎が麻子と結婚した理由は、麻子の怪我という「秘事」に対する同情からだったということのように見えますが、実は本当の理由は、清太郎が臨終の時に語りたかった言葉で、それが「秘事」であったということだと思われます。人はそれぞれ平々凡々と生きています。しかしそれは、他に代え難い自らのそれぞれに物語を持っています。なんの変哲もない物語が実はなかなか味わい深いものであるということを、逆説的に河野多恵子は言っているような気がします。


追記:
山田詠美の「ベッドタイムアイズ」が、文芸賞を受賞したときの河野多恵子の選評で、「感性や知性を認識手段とするだけでは捉えきれない未踏の真実を的確に生み出し、本当の新しさを示す。」と絶賛しています。と引用していました。

「困った」ポーズが人気 山口・徳山動物園のクマ

頭を抱えて鳴くマレーグマのツヨシ君
(山口県周南市の徳山動物園)

山口県周南市の徳山動物園で、鳴きながら立ち上がり、前脚で頭を抱えて振り回すマレーグマのツヨシ君が人気だ。推定年齢14歳の雄。ここ10年ほど、雌に餌を奪われたり、じゃれ合おうとして無視されたりすると出るポーズ。クマの習性にはないらしく、飼育係は「困った気持ちの表現かな」。日曜・祝日の午後1時から約30分間の餌やりの時間に見られる確率が高い。最近は右前脚でこめかみをたたく新ポーズも披露。もの思う秋に悩みが深まったか。
朝日新聞:2005年09月26日



また動物ネタですよ。よく飽きもせず続きますね。記事に事欠いて、天下の朝日新聞が、ですよ。一世を風靡した千葉動物公園のレッサーパンダの風太クンは、見に行っても、ほとんど立たないらしい?だから、かどうかは分かりませんが、今度はマレーグマが立ち上がりましたという記事。しかも、前足で頭を抱えて振り回すとは?イヤイヤのポーズですね。クマの習性にはない?そんなことはありませんよ。これはどうも新聞社と動物園が結託して、つくられたニュースとしか思えません。なぜなら、ちょっと調べただけで出るは出るは、マレーグマがしなを作ったポーズの画像が次々と出てきました。上野動物園では、立ち上がって両手を挙げてポーズをとるマレーグマは、いつでも見られる光景ですよ。イヤイヤじゃないから、でもちょっと違うかな?もの思う秋に悩みが深まったかどうかまでは分かりませんが。それにしてもこのマレーグマ、カワイイアップに堪える顔ですね。(画像はすべて上野動物園のマレーグマ)