三太・ケンチク・日記 -5ページ目

「アマゾンで地球環境を考える」


K駅からバスに乗って会合のある知人の家に近づくと、窓の外に幹事役のMさんと、もう一人の方が歩いているのが見えました。バスを降りて待っていると、二人が追いついてきました。もう一人の方がその日の講師西沢利栄先生でした。彼らはその近所のおでんが美味しいと評判の店で、昼間から おでんを食べてきたという話。もしかしたらお酒も少し入っていたのかもしれません。西沢先生はアマゾンの自然を調査して30数年、地球最大の熱帯雨林アマゾン川の豊かさ、開発の実体保全への努力などを、ご自身で撮られたスライドを使いながらお話ししてくれるということなので、期待して出席しました。


西沢利栄先生は1929年生まれ。東京教育大学理学研究科修士課程修了。理学博士。立教大学教授、筑波大学教授、東京成徳大学教授を歴任。専門は地理学、環境科学。とあります。なにしろ経歴は凄い、偉い先生なんですね。なにも知らない僕は、始まる前に、さっそく質問。先生は何を専門としているのかということ。どうしてアマゾンと関わり始めたのか、先生の風貌に接して、まったく繋がらなかったからです。その答えは「気象学」ということでした。アマゾンと言うからには、もっと体格のがっしりした無骨な人かと思っていたものですから。


西沢先生は、ブラジルの仕事を始めてから34年、この間の研究は、熱帯ブラジルの半乾燥気候の有刺灌木林湿潤気候の熱帯雨林を対象にした木々の性質とその社会のようすを調べることだったと言います。「ブラジル熱帯雨林を保護するためのパイロット・プログラム(PPG7)」のプログラム発足当時から1999年目での6年間、国際諮問委員会の委員を務めてもいたそうです。


なぜアマゾンなのかは、疑問の湧くところです。アマゾンは地球環境を考える上で、最もふさわしい場所だそうです。最大の熱帯雨林、最大流量を誇る大河川、計り知れない生物多様性、そして大規模農業を目的とした開発も巨大です。アマゾン川をたどりながら、自然の姿と人々の暮らしを眺め、熱帯雨林と大河川の存在、巨大開発が地球環境に及ぼす影響を、今回書かれた本では詳しく考察しています。



そもそもアマゾン地域とはどういうところなのか?アマゾン地域は、地球上に存在する三つの熱帯雨林の一つです。アフリカのコンゴ川流域の熱帯雨林東南アジアに拡がる熱帯雨林、そして、アマゾン川流域を中心とし、アンデス山脈西方地帯とメキシコにまで広がる中南米の熱帯雨林です。この三つの熱帯雨林地域の全面積は、地球の全面積の7%を占めるにすぎませんが、この地域に生存する植物体の量は、地球上の陸上植物の41%生産量では30%を占めているというから驚きます。ところが、経済優先の波がこれらの熱帯雨林を伐採し、貴重な熱帯雨林は消滅と破壊の危機に瀕しています。


昨年、ブラジルは「アグリビジネスの巨人」と言われるようになりました。穀物メジャーが地球最大の熱帯雨林を大規模に伐採して、大豆生産を拡大しているためです。人工衛星から撮った写真でも、緑が切り開かれて、表土が露出したようすがよくわかります。アマゾンの熱帯雨林が大変な危機に瀕しているのです。ブラジル政府も保全のために、伐採禁止地帯を設定したり、保全型農業を推進したりして頑張っていますが、なにしろ大型機械でガシガシと切り倒していくのにはかないません。


では、熱帯雨林が失われるということは、どうして人類にとって憂慮しなければならない状況なのでしょうか?第一は、人間が生きることを支えてくれる環境、つまり生存環境が奪われていくことにつながるからなのです。第二は、価値のある生物資源を失うことにつながるからです。さらに、熱帯雨林の消失は気候環境や水文環境のバランスを壊します。また、熱帯雨林の伐採は、大気中の地球温暖化効果ガスの二酸化炭素濃度を高め、地球温暖化を促進します。


この本「アマゾンで地球環境を考える」という本の表紙が面白い、素晴らしいイラストです。やはり学者が書いた本、やや数字やグラフが多いこともあります。岩波ジュニア新書、中高校生向けとは言え、けっこう難しい本ですね。この本を読んで、大自然の豊かさと不思議さを楽しみながら、地球環境問題についても考えて観るのも一興かと思います。


「アマゾンで地球環境を考える」
著者:西沢利栄
発行:2005年8月19日
発行所:岩波書店、ジュニア新書
定価: 819円(本体 780円 + 税5%)

玉川高島屋、「たまがわ薪能」を観た!


第1回目の「たまがわ薪能」、一昨年は先着順で入れると思い、2時間前に行ったら招待券がないと言われて、観ることは出来ませんでした。第2回目に昨年は、事前に申し込んだけども、招待券は残念ながら届きませんでした。第3回目、三度目の正直、今年は見事に招待券をゲットし、「たまがわ薪能」を観てきました。



玉川高島屋の本館屋上フォレストガーデンで行われる「たまがわ薪能」、暮れなずむ屋上庭園が幽玄の世界に変わります。演目は能では比較的ポピュラーと言われている「安達原」白頭・急進之出、でした。まず、演目についての詳細な解説がありました。



陸奥、安達ヶ原で行き暮れた山伏一行は、荒野の一軒家に宿を借ります。主の女は旅のなぐさみにと、糸車を回して見せ一行をもてなします。そして閨のなかは見ないようにと念を押し、薪をとりに出て行きます。不審に思った一人がそのわけを知り、さては鬼の住処かと、一同女に立ち向かいます。女の繰る糸車や閨が、人間の心の二面性を象徴的に表現しています。



折良く満月の月を観ながら、7時から始まり8時15分まで、幽玄の世界を堪能し、集中して観たせいか、アッという間に終わりました。


梅若猶彦さんのサインが入った「能楽への招待」という本があります。サインの横に書かれた日付けは、2003年2月22日とあります。新書が発行されてすぐですね。神保町の行きつけの「M」というお店で、サインをいただいたのは憶えています。10数人の会合に来ていただきました。「」についてどういう話をされたのか、あまり記憶がありません。ほぼ貸し切り状態で、お酒の勢いだったのか、梅若さんは「道成寺」を唱ってくれました。


梅若猶彦さんは「能楽観世流シテ方」で、「頭で覚えるより身体で覚えろ」という世界では珍しく、ロンドン大学大学院の博士課程を修了している理論派です。この本では、能舞台や装束、面、役柄、歴史という基礎知識はもちろん、「型附」という秘伝書には何が書かれているのか、世阿弥が到達した最高の美は「幽玄」かなどの本質論まで、演技者であり思索家でもある著者が存分に解説しています。一度読みましたが、分かりにくかった個所が数多かった記憶があります。この機会に、「能楽への招待」を読み直してみようと思います。



「能楽への招待」
著者:梅若猶彦
2003年1月21日第1刷発行
岩波新書

西新宿、高層ビルからの眺め!

先日、用事があって、西新宿の高層ビル、エルタワーの21階まで行きました。そこからの眺めが素晴らしい。小田急百貨店西口広場が眼下に手に取るように見えます。行ったついでに、「プラート美術の至宝展」を観に損保ジャパンへ行きました。こちらは42階、エルタワーの2倍の高さです。ここからの眺めが、また素晴らしい。新宿駅ホームから新宿駅南口タイムズスクエアの向こうに新宿御苑、その先には霞んでいますが、六本木ヒルズ東京タワー東京湾までも見えました。ということで、画像を何枚か掲載しておきます。

新宿エルタワー(右後ろは損保ジャパン)

新宿エルタワー21階からの眺め

損保ジャパン本社ビル

プラード美術の至宝展案内

損保ジャパン玄関

損保ジャパン42階からの眺め

関連記事:「プラート美術の至宝展」を観た!

芥川賞作品「ゲルマニウムの夜」映画化


きました、きました、待ちに待っていた情報が!なんと、どなたかは存じませんが、荒戸作品に興味を熱望される気持にお答しますとして、「ゲルマニウムの夜」の関係者試写会が行われ、関係者の1人として鑑賞しましたが、想像を絶する素晴らしさ驚嘆と衝撃を受けたとありました。詳細は別項 に譲るとして、僕が想像していた通りにことが進んでいるようで、本当に嬉しい限りです。以前「ゲルマニウムの夜」の映画化について、僕の記事に情報をお寄せいただいた方にトラックバックしたり、「赤目四十八瀧心中未遂」を観て感動したという知人にそのことをメールで伝えたりして、今朝はウキウキしていました。そして、なんとまた、今朝、ネットでニュースを見ていたら、下記のような「スポーツニッポン」の記事があるではないですか。これには驚きました。いずれにせよ、11月26日に公開される予定なので、一番乗りで観に行きたいと思っています。以下、「スポーツニッポン」の記事を全文掲載します。



作家・花村萬月氏の芥川賞受賞作「ゲルマニウムの夜」が映画化された。一昨年「赤目四十八瀧心中未遂」で話題をさらった荒戸源次郎氏(58)が製作総指揮に当たり、舞踏家で俳優としても活躍する麿赤兒(62)の長男・大森立嗣(35)が初監督に挑んだ。荒戸氏は東京・上野の東京国立博物館敷地内に「一角座」と命名した劇場を建設、既成の上映システムにとらわれない形態で一石を投じる。芥川賞の選考にあたった委員たちに「まさに冒涜(ぼうとく)の快感を謳(うた)った作品」と言わしめた「ゲルマニウムの夜」。殺人を犯し、育った修道院兼教護院に舞い戻った青年・朧の日々を描いた衝撃的な内容が話題を呼んだのは7年も前になる。映像化不可能ともいわれてきた小説に、あえて挑んだのは荒戸氏だった。しかも、大森立嗣という新人にメガホンを委ね、主役にも初主演となる新井浩文(26)を起用して、2月にクランクイン。完成した作品は、原作の持つ危険なにおいをストレートに投影し、また、おくすることのない描写の数々が心にズシリと響いてくる。


佐藤慶(76)、石橋蓮司(64)、広田レオナ(42)といったベテランも大森監督の振るタクトに身をささげた。父、そして弟にも俳優の大森南朋(33)を持つ監督は「こういう感じに撮ればお客さんが入るんじゃないか、といった迎合型の映画が最近やたらに目についた。だから、自分の映画を作ろう、と自由にやらせてもらった」と振り返る。「赤目」や崔洋一監督の「血と骨」などで実力を養ってきた新井とは10代からのつきあい。「あうんの呼吸」と監督が言えば、新井も「何か身内みたいな感じ。うまく言えないけれども共通の言葉を持とうぜ、と誓って入った現場はとてもやりやすかった。石橋さんやベテランの方たちにも、全然遠慮なしの演出にはすごみも感じました」と語った。メディアプロデューサーの羽仁未央さん(40)が海外への紹介役を引き受け、またネット配信やさまざまなイベントも企画。ゲルマ祭りの趣きで11月26日に公開予定だ。


≪国立博物館そばに専用上映館≫荒戸氏がみたび動いた。東京タワーの下に可動式のドーム劇場を建て、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」を上映したのが1980年。阪本順治監督の「どついたるねん」を原宿駅そばで公開したのは89年のことだった。あれから16年。今度は東京国立博物館の西門そばに「一角座」を建てる。もちろん「ゲルマニウムの夜」を上映するためだけの劇場だ。収容人員は約150人。「ユニコーンからというより、イッカククジラが名前の由来」と荒戸氏は説明。「未公開の映画が100本を超えている。作りっぱなし、産みっぱなしの製作側に問題はないのか。未公開の作品が増えると、配給側も映画を吟味しなくなる。映画を映画として扱わない配給側に問題はないのか。製作・配給・劇場を一貫させることで、そんな現状に一石を投じたい。最短でも半年間のロングランは約束します」と荒戸氏は強調した。
スポーツニッポン:- 9月17日


「ゲルマニウムの夜」
著者:花村萬月
1998年9月20日第1刷
発行所:文芸春秋







過去の記事:花村萬月の「ゲルマニウムの夜」
         “赤目”を体感せずして日本映画を語る勿れ

詩とは、または、茨木のり子の「倚りかからず」を再読!

ただブログ上でコメントのやりとりだけですが、Aさんというブログ仲間がいます。お会いしたことはありません。どうも「」をやっている人らしい?「詩のボクシング」を観戦に地方まで飛び歩いたり、自分でも参戦している?ようです。なにしろ僕は詩を詠むこともなければ、詩集を買って読むこともありません。詩とはまったく縁のない生活をしてきましたから。だからかどうか、Aさんのことが妙に気になります。「詩のボクシング・公式サイト


先日、9月13日の朝日新聞夕刊で、詩人で作家の清岡卓行が、斎藤恵美子著「最後の椅子」という詩集を取り上げ、紹介していました。



高齢化が進む社会では老人ホームの数も少しずつ増えて行くだろう。この施設の内部の様子を多角的に活写する詩集が現れた。斎藤恵美子の「最後の椅子」(思潮社)である。作者は老人ホームで介護の仕事をしている中年女性。老人たちの身の回りや心情を優しくいたわるその持続的な立場なしには、ありえなかった詩集だろう。


この冬
九十八歳になるあなたの
声が、くりかえし
おかあさん、と叫ぶとき
わたしたちは、とても
せつない


こんなふうに単純で哀切きわまる声がひびくもう一方では、戦争中、戦車隊で一人だけ生き残ったという元軍曹の、自嘲のようでも自慢のようでもある話が聞こえる。


戦車隊にいたころの、話が
きょうも止まらない
炎は敵に見つかるからよ
へびやカエルは、生で食った


これらふたつの場面の人物の立場がおよそ似ていないことからも想像できるように、老人たちの生態はじつにさまざまである。私は作者のみごとな筆力によって描きわけられたその多様さに魅惑され、また、家庭で暮らしている老年の自分をそこに投影してみたいという関心もあって、この詩集をくりかえし三回読んだ。


このような丁寧な紹介がなければ、僕は詩集を買ってみようとは思わないはずです。逆に、こうした紹介があって初めて、詩集のなんたるかが、朧気ながら分かってきます。久しぶりに手にして読んでみたい詩集です。実は一冊だけ持っている詩集、茨木のり子の「倚りかからず」、これも新聞の紹介があって手にしたものです。上の記事があったので、久しぶりに読み直してみました。ベストセラーになったので、ご存じの方も多いでしょう。

 


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
もはや
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

倚りかからず
著者:茨木のり子
1999年10月7日第1刷発行
発行所:筑摩書房


読み直してみると、いろいろなことが分かりますね。「倚りかからず」のように断固とした姿勢を表している場合ももちろんありますが、けっこうユーモアが随所に織り込まれていたりします。「笑う能力」の「洋梨のババア」とか、「我が膝まで笑うようになっていた」とか!内蒙古へ植林ボランティアへ行った25歳ぐらいの青年から、「あなたの詩集を一冊持ってきたのです。」という航空便が届きます。それがきっかけでこの「倚りかからず」という詩集ができたそうです。もともとあった3編に書き下ろし12編を加えた詩集です。詩集というのは元々書きためておいたあるものをまとめて作るばあいもあるでしょうが、「倚りかからず」の場合は、一気に書き下ろしてつくったそうです。

「プラート美術の至宝展」を観た!


損保ジャパン東郷青児美術館は、1976年7月に美術館を開館ですから、もう30年近くも経つんですね。当初は安田火災東郷青児美術館でした。どうして東郷青児美術館なのかと思い調べてみたら、美術館発足時に東郷青児が美術館設立の目的に共鳴し、所蔵の自作約 200点と自分が収集した内外作家の作品約250点を寄贈したそうです。それでいつまでも頭に名前が付いているんですね。どんな素晴らしい企画展でも、最後に東郷青児を無理矢理見せられるには、それなりのわけがあったんですね。


フィリッポ・リッピ「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母」

1987年10月には、フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」を購入して、世間をアッと驚かせました。1989年1月にはポール・ゴーギャンの「アリスカンの並木路、アルル」、1990年1月にはポール・セザンヌの「りんごとナプキン」が加わり、展示内容が一躍充実いたしました。ゴッホの1888年の作品「ひまわり」、ゴーギャンの1888年の作品「アリスカンの並木路、アルル」、セザンヌの1879年頃の作品「りんごとナプキン」、この3つの作品が、一室に常設展示してあります。西新宿の超高層ビルの42階にある美術館ですから、落着いた雰囲気で、しかも展望回廊からは東京都心を見下ろす眺望は、なかなか素晴らしいものがあります。


フィリッポ・リッピ「聖ユリアヌスを伴う受胎告知」

さて今回の企画展は、「プラート美術の至宝展―フィレンツェに挑戦した都市の物語―」です。プラートは、イタリアのトスカーナ地方フィレンツェから北西に約15km程離れた小都市です。市内の教会や政庁が中世以来の美術品で満たされている街で、14~18世紀の絵画や資料・約60点が今回展示されています。まず、見終わった感想から言いますと、最初の約半分は、本当に素晴らしいものばっかりで、比較的空いていたこともあり、時間が経つのも忘れるぐらいじっくりと見て回りました。フレンツェには2度ほど行ってますが、今回の展示ではウフィッツィでは見られないものもたくさんありました。これは得したなと思いました。まあ、あとの半分は、時代も新しくなり、それなりに、という感じでしたが。


ルドヴィコ・ブーティ「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母」

ボッティチェッリに影響を与えたということで、初期ルネサンスの重要な画家、フィリッポ・リッピが取り上げられています。フィリッポ・リッピの描く聖母子像は、優美で清らかで、素晴らしいんですよ。ウフィッツィには、フィリッポ・リッピの部屋があり、「聖母子と二天使」や「聖母の戴冠」があります。僕が聖母子像が好きだというと、皆さんに笑われそうですが、事実ですから仕方がありません。2年前にも目黒区美術館で開催された「聖母子と子供たち展」にも行きました。フィリッポ・リッピはカルメル会の修道士画家でした。なにしろ遊び人で、落ち着きのない反逆的な性格だったようです。とにかく早く絵を完成させるようにと宮殿に幽閉されたときも、シーツを引き裂いて窓から逃亡したという逸話が残っています。


ラッファエッリーノ・デル・ガルボ「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ」

その彼が聖母像のモデルに頼んだ尼僧のルクレツィア・ブーティ恋仲になり、駆け落ちして2人の子供までもうけたということは、当時の良識ある人々の目にはとんでもない大事件だったようです。しかし、メディチ家の老コジモは、リッピの芸術は、未曾有の神から授け物と考え、「稀なる才能は天からの顕現であって野卑なロバの如くではない」と言ったと伝えられています。フィリッポ・リッピの工房からやがてルネサンス絵画の傑作を生むボッティチェッリや、息子のフィリッピーノ・リッピが育つんですね。今回は、祭壇画「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母および聖グレゴリウス、聖女マルゲリータ、聖アウグスティヌス、トピアスと天使」、という長いタイトルの祭壇画がメインに展示してありました。小さいものですが「聖ユリアヌスをともなう受胎告知」という作品もリッピの作品です。


ベネデット・ダ・マイヤーノ「聖母子」

プラートという街は「聖母マリアの帯」がある街で知られています。伝説によれば、帯は聖母が死後、天に引き上げられる際に残したものです。14世紀、プラートの美術は、まずこの「聖帯」を中心テーマとして形成されたそうです。プラートは、常に巨大都市フィレンツェの侵略に脅かされながらも、信仰と美術が民心をまとめる象徴だったそうです。今回の展示は、出品作品を都市の歩みに沿って、「聖帯伝説による愛郷心の創出」、「聖母信仰」、「カトリックの世界的プロパガンダ」、という三つの観点から読み解きます、とあります。そう言われてみると、ちょっと判ったような気がしてきました。感動のあまり、普段はほとんど買ったことにない「図録」まで買ってしまいました。


損保ジャパン東郷青児美術館

カレーの店「ASIAN SOUL」でお昼を!


昨日、今日は、30度を超える暑さで、外へ出るとホントにムッとします。これを「残暑」というのでしょうか? 「こう暑くちゃ、やっぱりお昼はカレーかな!」あれっ、どこかで書いたことがあるようですが。そうです、世田谷通りの「チャナ」を紹介したときのフレーズです。さて今回は、あしゅりんさん が紹介してくれた丸山公園横の「ASIAN SOUL」です。朝な夕なに、散歩の途中に、お店の前を通っているんですが、今まで一度も入ったことがありませんでした。今日はあまりにも暑いので、意を決してお昼に「ASIAN SOUL」へ初めて行って来ました.。



奥さま魔女Lillian☆の靴下のなか 」を見ていたら、なんとLillianさんが「 一日駅長さんになりました! 」という記事を書いてました。祐天寺のカレーのお店「ナイヤガラ」へ行ったらしく、LillianさんがピンクのTシャツを着て駅長さんの帽子をかぶった画像が載っていました。もう、可愛いのなんのって!さっそく「ナイヤガラ」について書いた過去の記事をトラックバックしておきました。いやいや、それとはまったく関係なく、ただただ暑いが為に、カレーを食べたくなったというわけです。



ASIAN SOUL」の場所は、三軒茶屋から世田谷通りを若林方向へ400m、太子堂4丁目の交差点、ローソンの角を左へ曲がり、世田谷消防署、警察署の方へ向かって200mぐらい行った蛇崩川緑道、井上外科の手前、左側です。8、9人しか入れないカウンターだけのエスニックな感じの小さなお店ですが、狭っ苦しい感じはまったくありません。若いが物静かな店長が一人で切り盛りしています。カレーは、チキンカレーとグリーンカレー、ドライカレー、レッドカレーの4種類だけです。すべてサラダ・ライス付きで850円です。オーダーが入ってから一人分ずつ丁寧に調理しますので、ちょっと時間がかかります。



僕はチキンカリーを頼みました。柔らかな骨付きチキンが入っています。スパイスが効いていますが、思ったほど辛くはありません。今まで食べたカレーの中でも、一種独特な味がします。隣の人は真ん中にゆで卵が乗ったドライカレーを食べていましたね。これは美味しそうでしたね。次回は絶対にドライカレーにしようと思いました。その他に、ココナッツ風味のレッドカレーグリーンカレーがあります。ドリンクはラッシー、チャイ、ビールです。夜は照明も煌々としていて、アジア風のガラス張りのお店ですから、けっこう目立つお店です。


ASIAN SOUL(アジアン・ソウル)
住所:世田谷区三軒茶屋2-24-16
電話番号:03-3424-6177
営業時間:11:30~14:30、18:00~22:00
休業日:木曜日


過去の関連記事:
暑い夏はやっぱり「チャナ」のカレーだ!

祐天寺「ナイヤガラ」のカレーを食べた

世相を風刺した「全国かかし祭」山形・上山市

ギター侍かかし

世相を風刺したかかしで面白さを競う「かみのやま温泉全国かかし祭」が山形県上山市で19日まで開かれている。今年は愛知万博のマスコットや立ち上がるレッサーパンダの風太君のほか、総選挙を意識して、郵政民営化について書かれた立て看板を“斬(き)る”「ギター侍かかし」など約250体が並んだ。会場には、日中韓のかかし文化の違いに関心があるという韓国テレビ局のスタッフの姿も。韓国でかかしは天と人との仲介者を意味するという。かかしが日韓友好の懸け橋となるか。
毎日新聞:9月12日


世相を反映するバラエティーに富んだかかしが並ぶ会場

上山の秋の恒例イベント、第35回かみのやま温泉全国かかし祭はきょう10日、上山市の月岡公園で開幕する。9日には現地で審査会が開かれ、入賞作品を選んだ。全国かかし祭には毎年、伝統的な一本足のかかしに加え、話題の人社会風刺をテーマにした作品が数多く出品され、多くの観光客でにぎわう。地域文化の発展に貢献したとして、先ごろ、サントリー文化財団(佐治信忠理事長)のサントリー地域文化賞を受賞した。



今年は一般老人クラブ子供の3部門に県内外から96件248体の出品があった。宇宙飛行士野口聡一さん、東北楽天ゴールデンイーグルス、愛知万博のほか、郵政民営化について訴える口上など、時の話題や世相を反映するテーマがそろった。新潟県から訪れた農業河内宮助さん(55)、美代子さん(49)夫妻は「一本足が懐かしい。童心に帰るようだ」と話していた。19日までの期間中、市内には「街角かかし」が飾られ、国際下駄(げた)飛ばし選手権など多彩なイベントが繰り広げられる。審査はユーモア性創造性などを基準に地元関係者ら14人が行った。各部門の最高賞は、一般が古窯(上山市)、老人クラブが蔵王長寿園(同)、子供が南山形小5年(山形市)に決まった。
山形新聞:9月10日



上山市は、風光明媚、明治時代に「日本奥地紀行」を著したイギリスの旅行家イザベラ・バードも賞賛したとか!いや、またまた日本一ですね、今度は「全国かかし祭」ときましたよ。県立の農業高校での学校祭でクラス対抗のコンクールを実施したのが始まりとか。35回と言うから、35年も続いているんですね。なんとなんと、第27回「サントリー地域文化賞」を受賞しちゃったんですね。凄いですね。笑っちゃうのは、「国際下駄飛ばし選手権」も行われたということです。最近はやたらと「地方」が元気ですね。しかも行うイベントそのものがしっかりと「風刺」が効いています。主催者側も、参加者も、見る人たちも、皆さん楽しくやっています。三位一体、これこそ「町おこし」の成功例ですね。是非とも見てみたいものです。


過去の記事:

この記事とはほとんど関係ありませんが、「イザベラ・バード」が出たので、勝手に関連づけて、中島京子の「イトウの恋」 をリンクしておきます。

「朗読者」再読! 


今年の初め頃だったと思いますが、イギリスのチャールズ皇太子の次男ハリー王子が友人宅で開かれた新年の仮装パーティーにナチス・ドイツの兵士に扮した姿で参加して問題になりました。王子はすぐさま謝罪しましたが、父親のチャールズ皇太子は、ハリー王子が衣装店でナチスの制服を選ぶのを、一緒にいたウィリアム王子がやめさせるべきだったと判断します。そして、2人にアウシュビッツへ行ってホロコーストについて勉強したり、第2次大戦中に1200人のユダヤ人の命が救われた実話を描いた映画「シンドラーのリスト」を観るよう伝えたといわれています。


BBCは昨年12月、イギリスの16歳以上の4000人を対象にホロコーストに関する世論調査を実施しました。アウシュビッツの名前すら一度も聞いたことがないと答えたのが全体の45%にのぼったそうです。しかも35歳未満では60%を超え、若者の間でホロコーストに関する知識が乏しくなる傾向が顕著だったという背景があります。今年はホロコースト60周年でもあります。


なぜか、本棚の一番前の見えるところにこの本「朗読者」が、長い間置いてありました。2000年4月の発行ですから、よくある翻訳物に違わず、粗末な紙を使っていることもあり、やや黄ばんできています。確かこの本は、発行と同時に購入して読んだと思います。改めて表紙を見てみると、卵形の浮かんだもの2人の男女が腰掛けています。男は本を広げて読んでいるようです。こんな表紙だったのかと思わず食い入るように見つめてしまいました。なぜか急に思い立って「朗読者」を再読してみました。


15歳のミヒャエルは、母親のような年の女性ハンナと、ふとしたきっかけで恋に落ちます。そして彼女の求めに応じて本を朗読して聞かせるようになります。ところがある日、彼女は突然、失踪してしまいます。彼女が隠して忌まわしい秘密とは何だったのか・・・。


ここまでは、センセーショナルですが、ありふれたテーマでもあります。しかし物語は、ナチス時代の犯罪をどうとらえるのかという、重いテーマへと移っていきます。彼女の突然の失踪に傷つき、法廷での再開後に知った彼女の過去に苦しみ、それでも彼女に10年間も刑務所に朗読テープを送り続けた彼の律儀さ、粘り強さは、ドイツ人らしさが表れています。


ついにハンナの恩赦が決定し、ミヒャエルは刑務所へ会いに行きます。「大きくなったわね、坊や」と、昔と変わらないハンナ。面会時間は過ぎていきました。「元気でね、坊や」「君も」二人の別れの挨拶・・・。久しぶりに翻訳ものを読み直しました。しかも良質の翻訳ものを・・・。


「朗読者」新潮クレスト・ブックス
著者:ベルンハルト・シュリング 
訳者:松永美保 発行:2000年4月


過去の関連記事:ベルリンでホロコースト慰霊追悼碑の除幕式

佐伯一麦の「鉄塔家族」を読んだ!


久しぶりに長い小説を読み終えたという実感があります。なにしろ大判で550ページもある長編です。さもありなん、2002年7月29日から2003年11月15日まで約1年と3ヶ月、386回に渡って、日本経済新聞の夕刊に連載たれたいわゆる「新聞小説」です。多かれ少なかれ、この小説の形式を決めているのがこの「新聞小説」という枠組みです。新聞連載中は、毎回400字で3枚弱の原稿を毎日一回分ずつ書いていったそうです。


それにしても長い小説です。2004年6月25日第1刷、出版された時に好意的な書評を読んで、いつかは読んでみようと思っていた作品です。著者の佐伯一麦は、この作品で第31回大佛次郎賞を受賞しています。井上ひさしは大沸次郎賞の選評で「身辺雑記で長編を書くという実験的な試みはみごとに成功した」と書いています。


「トムソーヤごっこかチャンバラをするときは、少年たちは『』へと自転車を走らせる。目印は『』のてっぺんに建っている細長い鉄塔だ。その形から少年たちは、ロケットの発射台と呼んでいる。」そう、この鉄塔がこの作品のシンボルとなっています。「無機的な鉄塔にも、情が宿る瞬間がある」と、佐伯一麦は言います。



小説家の斎木鮮とその妻の草木染作家・菜穂が主たる登場人物ですが、彼ら2人以外にも鉄塔がシンボルとなっている町に住む多くの人たちを主人公とした物語です。斎木と菜穂、居心地の良い喫茶店のオーナー夫妻、この町に長年単身赴任しているサラリーマン、子供が独立して一人住まいの老婦人、等々。


斎木は離婚した前妻や子供たちとのしがらみを抱えていますが、この物語に登場するどの人たちにも、これまでの人生で抱え込んだ何かしらの問題を抱えています。それまで見知らぬ他人同士だった人たちが、物語の中でさまざまに交錯します。人と人との触れ合いを喜び、草木の花や、鳥の鳴き声の移ろいを慈しむ生活。そこには生きる歓びや哀しみがあり、小さくとも確かで広やかな世界があります。核家族化し、都会化している現代の日本社会において、ここに描かれているのは一種の「ユートピア」なのかもしれません。ここに描かれた社会こそが「コミュニティ」と呼ばれる理想郷なのでしょう。


前半は、ほとんどが身辺雑記の羅列で、文章も細やかで丁寧に描かれ、淡々と過ぎていきます。なんの抑揚もなく、やや退屈なほど、しみじみと読ませます。後半になり、突然、前妻の家から家出した息子の話が出てきます。斎木と妻の奈穂が東京に出てアパートや勤め先を探したりしますが、結局は斎木夫婦の下で手伝いをすることになります。前妻は、自己中心的でエキセントリック、斎木と離婚後、子どもまで設けたりします。現在の妻は、家庭教師として登校拒否の子供達の相手もした経験を持つという、この対比があまりにも極端に描かれています。前半の静謐に流れる物語が、突如、後半にきて別の物語が入り込んで、破綻をきたすような感じがしました。登校拒否の子どもの言うなりになってるところや、前妻が原因で斎木は鬱病になり自殺未遂までしたと暗示しているところは、違和感を感じました。



著者の佐伯一麦は、仙台の高校を卒業後、18歳で上京、若き日は電気工をしながら小説を書いてきました。結婚、育児、そして離婚、転居も20回ほど繰り返しました。変わりゆく環境の中で、自らの心と身の傷、家庭の修羅を見つめてきました。この7年ほどは故郷の「杜の都」に戻り「定点観測」しながら執筆活動を続けています。地域に根ざした、貴重な「私小説作家」と言えます。「鉄塔家族」は、作者の実生活と思わせるほどのリアリティを感じました。「見慣れている風景は面白い。同じように見えて、1日として同じ風景はないから飽きることがない。鳥が鳴く日もあれば、鳴かない日もある。毎日見ていると、花がつき、枯れる、1年のサイクルもわかるし、見ているはずの自分が、鳥や植物から見られているような感じにもなってくる」と、佐伯一麦は言います。