三太・ケンチク・日記 -4ページ目

愛知万博が閉幕 2204万人が来場 万博旗、上海へ


日本を含む121カ国と4国際機関が参加した愛知万博(05年日本国際博覧会、愛称=愛・地球博)は25日、185日の会期を終え、閉幕した。目標の1500万人を上回る2204万人が訪れ、環境やロボット、IT(情報技術)などの分野で科学の最先端に接し、世界各国の人々とふれ合った。「自然の叡智(えいち)」をテーマに掲げた21世紀初の万博は、自然との共生持続的成長可能な社会の一端を示し、「開発型」が続いてきた万博の歴史に新たな一ページを加えた。



閉幕を飾る最後の大イベント「フェアウェル(さようなら)パーティー」が午後6時半からあり、「森の精」とされる公式マスコットキャラクター「モリゾー&キッコロ」が会場近くの里山に帰っていく大がかりな演出を披露。大勢の人が名残を惜しんだ。



これに先立って開かれた閉会式では、万博協会の名誉総裁を務める皇太子さまが「人々の感動が全世界に広がって、地球規模の問題に立ち向かう大きな動きとなることを希望します」と述べた。小泉首相は「物を大切にする『もったいない』という心が広がり、人間と自然が共生する新しい社会の実現を祈念する」とあいさつ。2010年に万博を開く中国・上海に博覧会国際事務局(BIE)の旗が引き継がれた。



愛知万博は、国内では70年の大阪万博以来となる総合博。名古屋東部丘陵で開かれた。テロを警戒して厳重な警備体制が敷かれたこともあり、大きな事故はなかった。入場者数は右肩上がりで推移。繰り返し入れる全期間入場券を使った延べ440万人のリピーターが数字を押し上げた。入場券収入は当初見込みの425億円を150億円以上上回る見通しだ。



未来型の乗り物やロボット最新の映像技術冷凍マンモスなどが人気を集めた。外国館の工夫をこらした展示や体験型の企画も注目を集め、幅広い世代をひきつけた。万博史上初となる市民参加にも取り組み、国内外で活動中のNPO、NGOなども参加した。
アサヒコム:2005年09月25日


21世紀最初の万博となる2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛称=愛・地球博)が、好評のうちに閉幕しました。僕は、ロンドンのハイドパークで開催された1851年の第1回万国博覧会から万国博覧会の歴史を興味を持って調べてきました。万博の歴史は、ほとんど建築の進歩と同義語でした。大阪万博にも行きました。筑波博にも、大阪花博にも行きました。今回の愛知万博では、建築は大きく後退し、「自然の叡智に学び、地球的課題を克服しよう」というテーマの通り、今までの博覧会にはない成果を上げたのではないでしょうか。


伸び悩んでいた客足も、会期の後半にきて急速に延び、全体を通して目標を大きく上回ったことは嬉しい限りです。愛知万博での提示された新しい成果を、今後はいかにに確実に生活の中に定着していくかが課題となります。特に、NGOやNPO市民の積極的な参加で、これからの社会が作られていくことが、なによりも重要だと思います。偶然ですが、閉会のセレモニーをテレビ中継で見ました。厳粛な中にも、余裕のある素晴らしいセレモニーでした。5月の連休後に2日間、愛知万博を見学して、建築の専門家の視点から、幾つかのつたない記事を書きました。たくさんの方々に僕の書いた記事を見ていただきました。


つい先日、作家のKさんからメールが届きました。第1回万国博覧会のメインパビリオン、クリスタルパレス(水晶宮)について書いた記事を見てメールをいただいた方でした。8月に出るはずだっだ小説が遅れて10月末ごろに発売になること。謝辞のところに、三太ケンチク日記から「水晶宮」のことを教わったことを記させていただいたこと。記念に小説も添えてお送りしたい。とメールには書いてありました。嬉しいじゃないですか。このブログから万国博覧会を通して派生した貴重なつながりのひとつです。


愛知万博(愛・地球博)に関する記事一覧はこちら です。

田んぼアート 色の異なる稲を使い浮世絵描く

黄金色に実った浮世絵を刈り取る人たち


青森県田舎館村で25日、異なる色の3種類の稲で東洲斎写楽と喜多川歌麿の浮世絵を描いた「田んぼアート」の稲刈りが行われた。県内外から参加した約800人は、村役場東側に広がる水田(約1.5ヘクタール)で、黄金色に染まった稲を手作業で刈り取っていった。


浮世絵は村などでつくる「むらおこし推進協議会」が制作。遠近法を駆使した構図が話題となり、“キャンバス”を見下ろすことができる役場展望室には、5月の田植え以降延べ約13万人が訪れたという。田んぼアートは村おこしの一環として93年に始まった。同推進協は「浮世絵は図柄が繊細で難易度が高かったが、出来栄えには満足」と話している。
毎日新聞: 9月26日


関連記事: 「田んぼアート」で浮世絵を!

人工飼育のコウノトリ5羽を放鳥 兵庫・豊岡の郷公園


国の特別天然記念物で、世界的に絶滅の危機にあるコウノトリ保護・増殖に取り組んできた兵庫県豊岡市の県立コウノトリの郷公園が24日、飼育してきた5羽を放鳥した。国内最後の生息地だった同市で71年に絶滅してから34年。再び人里に放す取り組みは世界でも珍しい。人との共生を目指す地域挙げての野生復帰事業が、新たなスタートを切った。



24日午後2時半、郷公園前を流れる小川の土手に五つの箱が並べられた。国内外の研究者や多くの市民らが見守る中、秋篠宮ご夫妻や河合隼雄・文化庁長官らのテープカットで、ふたが一つずつ開いた。中から1羽ずつ出てきたコウノトリは、全長2メートルになる白と黒の翼を大きく羽ばたかせて空へ舞い上がった。集まった約3500人の観衆から拍手と歓声がわき起こった。



5羽は2~7歳のオス2羽とメス3羽。確認できなかった1羽を除くと、いずれもこの日は同公園付近で日没を迎えた。発信器や目印の足輪が付けられており、今後、人工衛星と地上からの目視で追跡調査される。増井光子園長は「予想以上に空高く舞い上がってくれた。半世紀を経てこの日を迎え、感無量だ。放した鳥が数世代にわたってヒナを生み続けたときが野生復帰の成功だと言える」と話した。
アサヒコム:2005年09月24日



そうです、つい先日記事にしました増井光子さん、よこはま動物園ズーラシアの園長だけではなく、実は兵庫県豊岡市にある県立コウノトリの郷公園園長でもあったわけです。「半世紀を経てこの日を迎え、感無量だ」との、コメントをしていますね。コウノトリと言っても赤ちゃんを運んでくる話ではありません。シュバシコウというコウノトリとよく似た鳥がいます。朱嘴コウの通り、嘴が真っ赤なコウノトリです。古くからヨーロッパでは幸福と長寿のシンボルとされ、こちらが赤ちゃんを運んでくる鳥と言われている鳥のです。豊岡市のコウノトリは、翼を広げると約2メートルにもなる大型渡り鳥です。野生の推定生息数は約2500羽の絶滅危惧種です。ロシアの極東地域と中国東北部で繁殖、揚子江中流域などで越冬します。条件がよければ渡り先にすみつくことも多く、江戸時代には各地で普通に見られる鳥だったようです。現在では、渡りの途中に迷い込んだ鳥が年に1、2羽見られる程度になっています。



国内では71年に野生種が絶滅しました。ロシア、中国産人工繁殖させて野生復帰を目指すもので、絶滅した動物と人間の生活圏で「共生」を図る試みは世界でも初めてです。30日には、つがい1組と雌2羽もそれぞれ別の方法で放鳥します。いずれも、5年程度の観察を続けて収集したデータを分析して、コウノトリが自力で餌を取ったり、繁殖できる環境を地域に整え、野生化を促進します。豊岡市で人工飼育の取り組みが始まったのは40年前。89年に人工繁殖に成功し、118羽まで増えていました。この間、県などが野生復帰推進計画(03年)を策定しました。地域で無農薬・有機栽培農業に取り組むなど、コウノトリの成育のための環境改善を進めてきました。
参考:毎日新聞 9月25日


過去の関連記事:よこはま動物園ズーラシアのズーラシアブラス!

「蝉しぐれ」をいち早く試写会で観た!


なんと、今までなんの景品がついたことがない「朝日新聞」から、初めて映画のお誘いがありました。藤沢文学の最高傑作と呼び声高い「蝉しぐれ」という映画です。「東京都ASA連合会」という新聞販売店の組織が、映画製作に資金の一部を提供したようです。さっそくFAXで申し込むと、間髪をおかず、招待券を2枚、届けてくれました。会場は近くの区民会館でした。これがよく言うところの「試写会」というやつなんですね。


藤沢周平が唯一映像化を認めた鬼才・黒土三男は、一切の妥協を許さない脚本作りに取り組み、構想から15年の歳月をかけ、小説以外では表現できないと言われた透明感を見事に映像化しました。と、チラシにあります。実はこの「蝉しぐれ」は、2003年8月からNHKで金曜時代劇で放送されたようで、その時の脚本も黒土三男が担当しました。第1話「蝉しぐれ/嵐」がモンテカルロ国際テレビ祭・ドラマ部門のグランプリを受賞した経歴があるそうです。どうして映画化されたのか、詳しい経緯は不明ですが、黒土監督自身が、「テレビでは表現できない『蝉しぐれ』の空気感と透明感を表現することができた」と語ったそうです。



近年、「時代劇」がブームと言われています。数多くの時代劇が製作されていますが、なかでも山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」と「隠し剣 鬼の爪」は、原作が藤沢周平です。藤沢周平は文章の名手と称される作家です。故人となって10年近い月日が経ってもなお、評価が高まっているそうです。「蝉しぐれ」は、発表後17年経っても人気が衰えず、120万部を超えるロングセールスを記録し続けているようです。ブックオフでも、国内の一般小説とは別に、時代小説は分けていますね。でも、僕は時代小説はほとんど読みませんので、藤沢周平がどんな作家であるかはよく分かりません。


舞台は東北の小藩「海坂藩」。下級武士である養父の元で成長する牧文四郎。父は藩の派閥抗争に巻き込まれ、冤罪によって切腹を命じられる。その後、謀反を起こした父の子として数々の試練が待ち受けるが、幼なじみたちの助けと、剣の鍛錬によって日々を質素に、そして懸命に、母とともに生きる。ある日、筆頭家老から牧家の名誉回復を言い渡される。しかし、これには深い陰謀が隠されていた。文四郎は、藩主側室となり派閥抗争に巻き込まれた初恋の人・ふくを命懸けで助け出すことになる。その時、海坂藩には、悲しみをつんざく蝉の声が、いつまでも鳴き響いていた・・・。



おふく役の木村佳乃が、品があって素晴らしい。大した演技をしているわけではありませんが、ただいるだけでその存在感が伝わります。いわゆる空気感透明感とはこの人のためにある言葉のようです。文四郎役は市川染五郎は「それなり」でしたが、存在感のある脇役が凄い。緒方拳が出ているのはどうしてなのか判りませんが、原田美枝子、大地康雄、加藤武、柄本明、田村亮、大滝秀治、等々。そうそう、今田耕二とふかわりょうは、まあまあの演技でご愛敬。文四郎・ふくの子供時代を演じたのは映画初出演の二人、石田卓也佐津川愛美、重要な役を瑞々しく演じていました。


20年ぶりで再会した文四郎とおふくが静かに語り合います。「文四郎さんの御子が私の子で、私の子どもが文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」。藤沢文学で最も有名な場面だそうですが、新聞連載時にはこの部分がなかったそうです。単行本化に際して大幅に加筆されたようです。また、3ヶ月前までは「朝の蝉」という題名だったとか、構想メモの段階ではヒロインの名は佐久、新聞連載時にふくに決まったそうです。折しも世田谷文学館で藤沢周平の文業と生涯をたどる「藤沢周平の世界展」が開催されています。「蝉しぐれ」執筆の興味深い舞台裏も、公開されているようです。



そして、風景がまた素晴らしい。山形の庄内地区には、壮大なオープンセットを作ったという。この映画も、「20年、人を想い続けたことがありますか」とあるように、分類すれば「青春映画」と言うのでしょう。「若々しさ」や「清々しさ」が作品のテーマとなっています。それともうひとつ、時代劇というと「日本人の気高さ」ですね。この手の映画は必ず、「日本人が忘れていたものを思い出させる」となってしまうのですが、そうなると、やや陳腐になります。


そうそう、映画のイメージソングは 一青窈(ひととよう)の「かざぐるま」です。22日の夕刊には全面広告が載っていました。コメントしている人たちは、どこかの会社のエライさんばかり。映画のHPにも、同じコメントが載っていました。こうまでされると興ざめの感は否めません。「蝉しぐれと、藤沢周平の世界」という文春ムック本も発売されています。しかし、本年度ベストワンの呼び声がどこからともなく聞こえてきます。10月1日から東宝系で公開されます。是非、ご覧になってみてはいかがでしょうか。


「蝉しぐれ」公式HP

世田谷文学館HP

大・大阪博覧会でビリケンさんに会う!


今朝のワイドショーでも取り上げられていました。ビリケンさんは東京へ行ったけど、東京からきたハチ公はレプリカで、バランスがとれないと、大阪の皆さん、怒っていましたね。おつきの人が大事そうに抱えて、飛行機に乗って運ばれてくるのを、テレビは密着取材。美術品扱いで梱包して運んでもらった方が、はるかに安全だと思いますが、まあ、そこはやはり、ビリケンさん、VIP扱いなのでしょう、飛行機はビジネスクラスのようでした。



さて、東急本店の「大・大阪博覧会」へ行って、ビリケンさんに会ってきました。女の子の聖地「109」から、文化村通りを東急本店へ。玄関前には、なにやら得体の知れない「飾りもの」が?一番手前にはビリケンさんが。 一つ一つ意味があるのでしょうが、説明がないのでよく分かりません。ブルガリやカルテエの横の案内所で「新聞」と「チラシ」をもらって、会場のある7階へ。さて、と思ったら、会場の出口の方へ行ってしまいました。仕切り直して会場の入り口へ、それほど多くもないお客さんへの対応で、切符売り場のおばさんともぎりのおばさんがてんてこ舞いでした。入場料500円、ちょっと高いんじゃないの?



桂三枝が名誉・総合プロデューサーなので、おしてしるべし。メインの展示は「大大阪80年・栄光のナニワ歴史展」と銘打っています。初代の通天閣は凱旋門の上にエッフェル塔が載っているというのは知ってましたが、桂春団治とか言われても見る気もしません。なにしろ全体的に展示が陳腐、ほとんど素通り、足を止めて見る人もいません。目玉はナニワの守り神・ビリケンさんです。30~40人くらいでしょうか、並んでいる人たちがいました。すぐに僕の番がきたので、ビリケンさんの足の裏を触って写真を何枚か撮りました。ずいぶん足の裏がすり減って、へこんでいました。撮るのに夢中で、願い事をするのを忘れた。台座には「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE」と掘られていました。沙羅さん 、見てきましたよ。これが「ケセラセラ」なのでしょうか?



大阪からきたと思われるスタッフの方が、おばさんたちに説明をしていました。足の裏は触るのではなくて、「こそばゆ?」東京で言うとくすぐる、そうするとビリケンさんは笑ってくれるんですよ、と。そう言えば、願い事をしてビリケンさんが笑ったら願い事が叶う、と聞いていました。遅かった、もっと早く言ってくれよ。ほとんど展示は素通りで、出口前の売店で「551蓬莱」のアイスキャンデーを買って、トークショーなどをやるライブステージの前の椅子に座って食べました。売店横には阪神タイガーズグッズのコーナーもありました。背広を裏返して展示してありましたが、裏地が凄い、ほとんどヤーサン趣味です、これには驚きました。



さて、ハチ公が健在かどうか確かめなければなりません。夕闇迫る中、ハチ公広場へ、人混みをかき分けながら向かいます。東急東横店の外壁には「大・大阪博覧会」の大きなポスターが貼ってあります。時間も時間なので、もの凄い人だかりです。チェ・ジウと見まがうばかりのきれいな女の子がハチ公の横でポーズをとっています。韓国から観光に来た若い女の子二人組のようです。手には分厚いハングルの案内書を持っています。なかなかどかないので、しっかりと画像に収めてしまいました。


過去の関連記事:ビリケンさん東京へ 「ハチ公」と交換で調印式

よこはま動物園ズーラシアのズーラシアブラス!


今朝の朝日新聞の朝刊「ひと」欄に「増井光子」さんが載っていました。68歳になるんですね。よく新聞に取り上げられる人です。獣医師としてパンダの出産を日本で初めて成功させた人で、上野動物園の園長などを経て、今は「よこはま動物園ズーラシア」の園長です。どうして新聞に載っていたのかというと、日本初の野生動物の専門医に若い人たちと一緒に試験を受け、認定されたからです。増井さんは、半世紀近い動物園生活で、管理職になり、長く獣医師としての一線を離れていました。最近、専門分野に関わることで素人呼ばわりさせて愕然ときたそうです。過去の実績などなんの役にも立たないと。受けた試験は、長く自ら会長を務める日本野生動物医学会専門医制度で、厳格な資格です。環境学や生態学などの幅広い知識も求められています。同時に認定された他の4人は30代と40代だそうです。動物に対する情熱は衰えを知りません。


僕は、増井光子さんには一度もお会いしたことがありません。増井光子さんの秘書的な仕事をしている妹さんと、姉妹お二人で住んでいます。実は、妹さんの方には何度かお会いしたことがあります。妹さんからお姉さんの人柄を聞いていて、お会いしたことがないにも関わらず、近しい人のように思っています。そんなことはどうでもいいんですが、これから書くことは、増井光子さんが園長をしている「よこはま動物園ズーラシア 」のことなんですが、実は僕は行ったことがないんですよ。どこにあるかも、よく分かりません。だけど、「オカピ」がいる動物園として有名で、よく聞いていました。



よこはま動物園ズーラシア 」は、「生命の共生・自然との調和」をメインテーマに掲げています。1999年4月、横浜動物の森公園の中に第1次開園しました。その後ゾクゾクとエリアが広がって、数年後には、日本最大級の動物園になる予定です。この「ズーラシア(ZOORASIA)」という愛称は、動物園(ZOO)と広大な自然をイメージしたユーラシア(EURASIA)の合成語で、平成8年秋に市民公募で選ばれたそうです。展示動物は、約70種400点で、「オカピ」、「インドライオン」、「キンシコウ」など珍しい動物たちに出会うことができます。ズーラシアに希少動物が多いのは、「種の保存」を行っていくことを目的の1つとしているためです。



実は、ここで紹介しようとしているのは、「よこはま動物園ズーラシア 」の「ズーラシアンブラス 」についてです。動物のマスクをかぶった金管五重奏です。子どもたちには大人気です。年30回ほどコンサートで全国を回っているそうです。「ズーラシアンブラス 」は子どもたちの音楽への興味を沸き起こし、これから花開く可能性を持った素晴らしい感性の導火線に火をつけることを目的に、「よこはま動物園ズーラシア 」のマスコットキャラクターとして制作されました。動物園が生命やその営みへの興味や関心・感動を動物を通して伝えていくように、「ズーラシアンブラス 」は音楽の素晴らしさを知る糸口を提供していきます。とHPの解説にあります。なにしろ「Band Journal」という専門誌の表紙にもなっているほどの実力なんですから。



メンバー構成」は、指揮がオカピ、トランペットがインドライオン、トランペットがドゥクラングール、ホルンがマレーバク、トロンボーンがスマトラトラ、チューバがホッキョクグマです。画像を見てください、どうです、楽しいでしょう。動物園という場で、音楽家と観客が、動物の「かぶりもの」を仲介役にして、難なくつながっていきます。音楽家という高い敷居を子どもたちは意に介せず、直接つながっていきます。音楽家も「かぶりもの」をしていることで、より自然に接することができます。いいですね、専門家と子どもたちがダイレクトにつながった、理想的な状態がここにあると思います。


「動物が好きだから」
著者:増井光子
発行所:どうぶつ社
2003年11月30日発行
販売価:1,575円(税込)

ペーパークラフトでつくるレッサーパンダの風太くん

ご紹介します。「紙は神に勝利(ペーパークラフト作成記) 」の kondofuji さんから、先日、トラックバックがありました。記事は、9月18日の「レッサーパンダ 風太 」です。



背筋を伸ばして直立するレッサーパンダの風太(ふうた)君が、ペーパークラフトになりました。動物のペーパークラフトで定評のあるごとうけいさんがデザインし、風太のいる千葉市動物公園が監修しました。実物の約4分の1の大きさで、その立ち姿はまさに風太くんそのものです。ご家族でぜひトライしてみてください。とあります。



asahi.comの「直立するレッサーパンダ風太くんを作ろう! 」からダウンロードできます。A4版、4枚です。説明図1枚、切り抜く図は2枚半です。「紙やインクの選び方」や「作り方のコツ」も載ってます。僕も興味を持って、「インクジェットペーパー」に打ち出してみました。少し厚紙で、とありましたので。なるほど、これを「組み立て説明図」に従って切り抜き、組み立てればいいんですね。大きさ20cm弱、実物の約4分の1の大きさです。制作時間は、3~4時間程度小学校中高学年向けとあります。なんだ、簡単じゃない不器用な僕でもできそうです。と、今日は概要篇、ここまでで終わってしまいました。



kondofuji さんからのトラックバックがあったすぐ後に、「月乃春水 ツキノ・ハルミ 本のこと あれこれ 」のtukinohalumi さんから、「レッサーパンダの風太くんのいる動物公園に行ってきました 」という記事が、トラックバックされていました。残念ながら、風太くんの立ち姿は見られなかったようです。代わりに、というのは変ですが、黄色い服を着た息子さんの立った画像が、プロフィール欄に載っています。

桐野夏生の「アイムソーリー、ママ」を読む!


魂萌え!」で、第5回婦人公論文芸賞を受賞した桐野夏生、昨年は日本作家で初の米エドガー賞候補にもなりました。「魂萌え!」は、突然夫を失った59歳の専業主婦が、夫の愛人の出現や息子との遺産争いに直面し、第2の人生を模索するという物語。「何か生き方のヒントを提示できたなら、光栄です。私が書いてきた激しい女性とは違う、普通の主人公が受け入れられたのもうれしい」と、インタビューに答えています。


そう、明らかに「魂萌え!」は、今までの桐野夏生の作品の系列とは異なっていました。「グロテスク」(第31回泉鏡花文学賞)、「残虐記」(第17回柴田錬三郎賞)、そして「アイムソーリー、ママ」、これで3部作が完了ということらしい。「私が書いてきた激しい女性」、まさに3部作の終了にふさわしい女性です、「アイムソーリー、ママ」のヒロイン、アイ子は!「アイムソーリー、ママ」のテーマは、「人はどこまで邪悪になれるのか」です。



児童福祉施設の保育士だった美佐江が、25歳年下の夫稔と、結婚20周年の食事に出かけ、焼き肉店で焼き肉を食べてアパートへ帰ってきて、「さあ、物語が始まるぞ」と思ったとたんに、松島アイ子に石油をかけられて、一瞬のうちに2人は焼死してしまいます。この事件の背景に盗み殺人逃亡を繰り返す女、松島アイ子の姿が見える時、更なる事件が引き起こされます。松島アイ子は、誰とも知れない娼婦に産み落とされ戸籍もないまま児童福祉施設に引き取られた。表情の乏しい下がり目をしたやせっぽちの女の子は、狡猾で残虐な悪魔と化していました。


いとも簡単に人を騙したり殺したりする怪物じみた女を描いた作品です。前2作と比べると、文章も相当荒っぽい内容も荒っぽい、というか、素描のような力強さを感じます。「ヌカルミハウス」「星の子学園」「狐久保家」「横須賀・どぶ板通り」「ネオシティホテル・グループ」「らいふドライクリーニング」「泥の会」等々、入り組んだ奇妙な人間関係です。細かいところにこだわってはいられない、なにしろ一気に書いた、という感じの作品です。そこは桐野夏生の筆力の凄さなのだろう、一気に読ませます。


これほど恵まれない哀れな状況のなかで育ったが故に、アイ子のゆがんだ性格を作り上げてしまった、ということだけでは言い切れない何かが「アイムソーリー、ママ」にはあります。顔だけ出して、冷たい土に埋められているエミさんから、「あんたの母親はこのあたしなんだよ」と告白を受けます。そのエミさんから「アイ子、お前、これからどうする」と聞かれ、アイ子は「真人間になる」と。「まにんげんって、どういうことなのよ」「わかりません。だけど、もう悪いことはしないようにします」とアイ子は答えます。


「アイムソーリー、ママ」
「アイムソーリー、ママ」HP


過去の関連記事:

桐野夏生の「魂萌え!」を読んだ!

桐野夏生の「残虐記」、読んではみましたが

桐野夏生の「グロテスク」

「茨城県立近代美術館」の常設展と中村彜!

千波湖から偕楽園の好文亭を見る

市街地の中にある水戸芸術館から、水と緑あふれる千波湖畔の茨城県立近代美術館へ移動しました。千波湖は水戸市民の憩いの場、湖には多くの水鳥が飛来し、周辺の木々が四季折々の表情を見せ、落ち着いた雰囲気の中で、ゆったりとした時間が過ごせます。駐車場から美術館へ行くところの大きな看板を見ると「予告」という紙が貼ってありました。「あれ、おかしいな、今日は何日?」そうです、僕が行った日は16、「片岡球子展」は17日からです。1日前ですから、当然、やっていません。せっかくここまで来たのに、と嘆いても仕方がありません。それでは「常設展」を観ようとチケット売場へ。駐車場代400円を払ったので、その領収証を受付で見せるとお金が戻ってきます。つまり400円戻ってきて、常設展の入場料が300、差し引き100円が得した勘定です?ん?違うかな?


 

茨城県立近代美術館は、緑青色の屋根と花崗岩の茶色い壁が目印で、吉村順三の設計です。アントニー・レイモンドの弟子で、戦争が激しくなってレイモンドがアメリカへ帰ると、後を追ってアメリカへ行きます。戦争が激しくなり、最後の交換船で日本へ帰ってきます。長らく東京芸大で教職にあり、清家清とはまた違った意味で日本の住宅設計をリードした人です。芸大の教え子からは「順ちゃん」と呼ばれて親しまれていました。皇居の新宮殿の設計時には、宮内庁や建設省の役人と意見が合わず、基本設計でその仕事を下りたという逸話の持ち主です。


美術館のロビー

木内克の「エーゲ海に捧ぐ」

美術館のロビーには幾つかの彫刻が展示してあります。なかでも好きなのは、茨城県出身の彫刻家、木内克(よし)のブロンズ彫刻「エーゲ海に捧ぐ」です。木内は手びねりのテラコッタの作品が多いのですが。常設展では、横山大観や下村観山、菱田春草など、「五浦(いづら)の作家」や、「河童の芋銭」として親しまれた「小川芋銭(うせん)」もなかなか面白い。が、やはり「中村彜(つね)」でしょう。水戸出身の画家中村彜は、大正13年(1924)に、37歳の若さで亡くなります。その短い生涯の中で、海外生活の経験もなく、日本に僅かしかない作品集画集などによって、レンブラントセザンヌルノワールなどの西洋絵画を学びます。僕の大好きな画家の一人です。


「裸体」

「エロシェンコ氏の像」

新宿中村屋の主人、相馬夫妻の好意で新宿角筈にある中村屋裏のアトリエに住むようになり、相馬家の人々、相馬俊子や相馬安雄、相馬千香を描きます。大正5年(1916)の作品「裸体」はルノワールの影響が強い作品です。そして優れた肖像作品を残しています。なかでも自画像の画家とも言われるぐらい、数多くの自画像を残しています。代表作は、ロシア生まれの金髪で盲目のエスペランティストを描いた大正9年(1920)の作品「エロシェンコ氏の像」ですね。この絵は重要文化財で、国立近代美術館に常設展示してあります。




大正5年8月に、新宿区下落合に、ベルギーから取り寄せたという、当時としては洒落た赤い屋根瓦の「アトリエ付き住宅」が完成します。この年から岡崎きい(老母像のモデル)が身辺の世話をしてくれるようになり、大正13年に没するまで、きいの手厚い看護のもと、この家で暮らしたということです。近代美術館の裏庭の一角に、中村彜の下落合時代の「アトリエ付き住宅」が新築保存されています。


過去の関連記事:万博に飛び出したニッポン

水戸芸術館と日比野克彦一人万博!


たまたま水戸へ行く機会があったので、久しぶりに「水戸芸術館(ART TOWER MITO)」を覗いてきました。建築の関係者なら誰でも知っている通り、磯崎新の代表作の一つで、1990年3月22日に開館しています。磯崎新をご存じない方のために、他の代表作を挙げると、66年大分県立大分図書館、70年日本万国博覧会お祭り広場、これは丹下さんの下で関わったものです。83年つくばセンタービル、 そして90年水戸芸術館、95年京都コンサートホール、98年なら100年会館などがあります。「世界のイソザキ」ですから、海外でもたくさんの実績があります。86年ロサンゼルス現代美術館があります。また、フィレンツェ・ウフィッツィ美術館「都市門」が挙げられます。国際コンペで入賞したものです。2003年3月に、僕がウフィッツィを訪ねた時は、まだ完成していませんでした。



水戸芸術館(ART TOWER MITO)」は、水戸市制100周年(1989年)を記念してして音楽、演劇、美術の分野のそれぞれの施設で独立して活動を行う空間を有し、水戸の芸術活動の本拠地として、また世界に向けた発信基地として建設されました。その活動には、市の予算の1%の管理運営費が当てられ、その活動を支えています。コンサートホール(620~680席)、ACM劇場(472~636席)、現代美術ギャラリー(9室)で構成されています。シンボルタワーの高さは100m、言うまでもなく市制100周年からきています。水戸は高い建物がほとんどないので、どこからでもこのタワーが見えます。運営は、(財)水戸市芸術振興財団が行っています。




いまなにをやっているのかというと、「日比野克彦の一人万博(HIBINO EXPO 2005)」です。でも実は、NHKの新日曜美術館でほとんど見てしまったので、入り口まで行って雰囲気だけを味わって、引き返してきました。展示室には、高さ9mの段ボール箱を積み重ねたタワーや、直径40cm25個のガラス玉。多くの人の手癖を借りて日比野が組み上げた7つのコラボレーション作品と、日比野が水戸に滞在して制作した段ボールの新作、そして80年代初頭の代表作品も展示されていたようです。そうそう、幅45mの朝顔の壁は外にありましたので、しっかりと画像におさめてきました。



僕が最初に水戸芸術館へ行ったのは「クリスト」展でした。それから「YES オノ・ヨーコ」展、建築関係では「ジュゼッペ・テラーニ」展、「アーキグラム」展もありました。行けませんでしたが、「まほちゃんち」という一風変わった展覧会もありました。地方にある美術館ですが、前衛的な企画展が多い美術館でもあります。チタンでできた100mタワーもエレベーターで上まで登れるようですが、まだ登ったことがありません。エントランスホールは吹き抜けになっていて、パイプオルガンが設置されています。教会に代わる場として、素晴らしい音を聞かせる空間になっているようです。エントランスホールでのパイプオルガンの音色は、是非一度聞いてみたいものです。



過去の関連記事:「まほちゃんち」という展覧会