Bunkamuraで「ギュスターヴ・モロー展」を観る! | 三太・ケンチク・日記

Bunkamuraで「ギュスターヴ・モロー展」を観る!


ギュスターヴ・モローと言えば、神話や伝説の世界を題材に、19世紀末のパリにおいて独自の耽美世界を構築した象徴派の巨匠と言われています。ずいぶん昔に高階秀爾の記した「近代絵画史」(中公新書)を読んでいたら、ギュスターヴ・モローは晩年、「マティスやルオーなどフォーヴの画家たちを育て上げた教育者」とあったので、奇異に感じたことがあります。今回「ギュスターヴ・モロー展」のHPで確認しましたら、やはり「1892年国立美術学校の教授となり、マティス、ルオーら時代を担う画家たちを育てた」とありました。「マティスやルオー」と言われると、モローとは作品の傾向が違うように思いましたが、確かにモローは教育者としても優秀だったようで、意外な一面を感じました。


「出現」

東急Bunkamuraのザ・ミュージアムで「ギュスターヴ・モロー展」を観てきました。パリにある「フランス国立ギュスターヴ・モロー美術館」所蔵の作品を公開しています。珍しいのは、前期と後期に分けた公開の仕方です。油彩画48点と扇1点は通期で展示し、水彩・素描230点は前期119点、後期111点に分けて展示します(全279点)。前期は8月9日から9月11日まで168点を展示し、後期は9月13日から10月23日まで160点を展示します。9月12日の月曜日、1日の休館日だけで100点以上の作品の展示替えをしたようです。従って、僕が観てきたのは「後期」ということになります。


パリのギュスターヴ・モロー美術館は、モローが住宅兼アトリエとして使っていたところを、1898年の死去に際し、自宅建物と膨大なコレクションを国家に遺贈して美術館として生まれ変わった世界初の個人画家の美術館です。ここには約14,000点もの驚くべき数の油彩画、素描、資料類が遺されています。展示室は、作品が壁中を覆い尽くすように展示されており、夥しい数のデッサンや水彩画も閲覧できるようになっています。


「エウロペ」あるいは「エウロペの誘拐」

その道に詳しい人に聞いたのですが、ギュスターヴ・モロー美術館は、元々個人の住宅兼アトリエですから美術館としては狭く、その割には作品数が多いので、展示の仕方に一工夫してあるそうです。油彩画は別にして、水彩画や素描画は、入れてある額が二重になっていて金具で止めてあり、展示替えの時にはその金具をはずして、裏側に隠れている作品を表側に出すという方法をとっているそうです。ですから、額縁が通常より分厚くなっているそうです。僕がそのことを聞いたのは作品を見て帰ってからだったので、残念ながら会場では確認はしていません。そんな方法があるので、前期と後期の大幅な作品替えが可能になったということのようです。

「一角獣」

モローは、「自分の内的感情以外に、私にとって永遠かつ絶対と思われるものはない」とし、近代化の中で人々が置き去りにしてしまった心の世界に思いを馳せました。それは明るい陽光のもと、目前で繰り広げられる現実に目を向けた印象派とは対極をなすもので、神秘的な瞑想への誘いでもありました。ギリシア神話や聖書の物語に画想を求めたモローは、愛と憎しみの相克、生と死、聖と俗など人類の普遍的なテーマを、卓越した想像力で視覚的イメージに捉え直し、きらびやかな色彩で宝石のような絵画を創り出しました。


モローは、1つの主題や作品に対して、夥しい数の素描や習作を残しています。今回のモロー展は、そうしたモローの詩的絵画世界を、ギリシア神話から「神々の世界」「詩人の世界」「英雄の世界」など、そして聖書物語から「サロメ」などの主題に分けて展示してありました。分類すれば、同じザ・ミュージアムで4月末に観た「ベルギー象徴派展 」と同じ時代、同じ傾向にあると言えます。大きくは「世紀末芸術」「世紀末絵画」にあたり、そして「象徴派」「象徴主義」になります。


「モデルを使った《サロメ》のための習作」と「サロメ」

モローの絵は画像は明確ですが、画家のメッセージは難解です。を描き、エロスにこだわります。社会通念から逸脱した退廃的なテーマです。そのための素材を、神話や伝説聖書や文学に求めます。モローは母親との癒着が強い、極度に夢想的な男だったと言われています。そうした彼が、女性に対する男性の幻想をロマンチックに描きます。「出現」や「エウロペ」、そして執拗に描いた「サロメ」から、女性が強くなりつつある19世紀後半の社会を見ることができます。

「24歳の自画像」

ギュスターヴィ・モローの作品をこれだけまとめて観るのは、僕は初めての経験です。「ベルギー象徴派展 」と併せて考えると、「世紀末」の「象徴派」について多くを学びました。ざっと見ての感想は、素描を除いて、油彩画、水彩画ともに、描きかけの印象が強い作品ばかりだということです。確かに、部分的にはこれでもかというほど詳細に描いている個所もあります。写真で見ていると完成したようにみえるものが、実際に展示してある作品を見ると、制作途上の未完成な作品に見えるのです。「世紀末」の「象徴派」の作品を僕はあまり好きではないから、特にそう思うのでしょうか。神話や伝説、聖書を知らないから、どうしても描かれているテーマがよく分からないということもあります。いずれにせよ、世紀末と言えば「アール・ヌーヴォー」という新しい装飾様式があり、モネやセザンヌなど「印象派」とはほぼ同時代なので、余計に奇異な感じを受けました。「世紀末」といえばもう「モダニズム」の萌芽がみられる時代ですから。


Bunkamuraザ・ミュージアム


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