詩とは、または、茨木のり子の「倚りかからず」を再読! | 三太・ケンチク・日記

詩とは、または、茨木のり子の「倚りかからず」を再読!

ただブログ上でコメントのやりとりだけですが、Aさんというブログ仲間がいます。お会いしたことはありません。どうも「」をやっている人らしい?「詩のボクシング」を観戦に地方まで飛び歩いたり、自分でも参戦している?ようです。なにしろ僕は詩を詠むこともなければ、詩集を買って読むこともありません。詩とはまったく縁のない生活をしてきましたから。だからかどうか、Aさんのことが妙に気になります。「詩のボクシング・公式サイト


先日、9月13日の朝日新聞夕刊で、詩人で作家の清岡卓行が、斎藤恵美子著「最後の椅子」という詩集を取り上げ、紹介していました。



高齢化が進む社会では老人ホームの数も少しずつ増えて行くだろう。この施設の内部の様子を多角的に活写する詩集が現れた。斎藤恵美子の「最後の椅子」(思潮社)である。作者は老人ホームで介護の仕事をしている中年女性。老人たちの身の回りや心情を優しくいたわるその持続的な立場なしには、ありえなかった詩集だろう。


この冬
九十八歳になるあなたの
声が、くりかえし
おかあさん、と叫ぶとき
わたしたちは、とても
せつない


こんなふうに単純で哀切きわまる声がひびくもう一方では、戦争中、戦車隊で一人だけ生き残ったという元軍曹の、自嘲のようでも自慢のようでもある話が聞こえる。


戦車隊にいたころの、話が
きょうも止まらない
炎は敵に見つかるからよ
へびやカエルは、生で食った


これらふたつの場面の人物の立場がおよそ似ていないことからも想像できるように、老人たちの生態はじつにさまざまである。私は作者のみごとな筆力によって描きわけられたその多様さに魅惑され、また、家庭で暮らしている老年の自分をそこに投影してみたいという関心もあって、この詩集をくりかえし三回読んだ。


このような丁寧な紹介がなければ、僕は詩集を買ってみようとは思わないはずです。逆に、こうした紹介があって初めて、詩集のなんたるかが、朧気ながら分かってきます。久しぶりに手にして読んでみたい詩集です。実は一冊だけ持っている詩集、茨木のり子の「倚りかからず」、これも新聞の紹介があって手にしたものです。上の記事があったので、久しぶりに読み直してみました。ベストセラーになったので、ご存じの方も多いでしょう。

 


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
もはや
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

倚りかからず
著者:茨木のり子
1999年10月7日第1刷発行
発行所:筑摩書房


読み直してみると、いろいろなことが分かりますね。「倚りかからず」のように断固とした姿勢を表している場合ももちろんありますが、けっこうユーモアが随所に織り込まれていたりします。「笑う能力」の「洋梨のババア」とか、「我が膝まで笑うようになっていた」とか!内蒙古へ植林ボランティアへ行った25歳ぐらいの青年から、「あなたの詩集を一冊持ってきたのです。」という航空便が届きます。それがきっかけでこの「倚りかからず」という詩集ができたそうです。もともとあった3編に書き下ろし12編を加えた詩集です。詩集というのは元々書きためておいたあるものをまとめて作るばあいもあるでしょうが、「倚りかからず」の場合は、一気に書き下ろしてつくったそうです。