三太・ケンチク・日記 -42ページ目

ベルリン・フィルハーモニー

たぶん、音楽ファンは話題もちきりなんだろうな。11月2日から11月21日まで計10回、ベルリン・フィル日本公演の真っ最中。やっぱり上野の東京文化会館が演奏回数は一番多いですね、赤坂のサントリーホールも一回あります。

なにしろ常任指揮者サー・サイモン・ラトルのお披露目みたいなものですから・・・サーといえば、イギリスの?そうです、彼はイギリス人です。
おどろくなかれ、120年のベルリン・フィルの歴史の中で常任指揮者はたったの6人!つまりサイモン・ラトルは6代目、まあ、4代目のカラヤンは超有名ですが!
楽団員の中に日本人も二人、いるんですね、女性ですが。

な~んて、これこそ僕はまったくのモンガイカンです。
実は、なにをかくそう、日曜日の午後、見るとはなしにテレビを付けたらちょうど始まった、フジテレビ特番秋の芸術スペシャル「ベルリン・フィル音楽紀行」という番組!これの最初と最後、中抜きですが、見ちゃったんですよ。典型的なタイアップ番組なんですが。まあ、それがネタといえばネタですけど!

いやいや、そうじゃなくて・・・

テレビを見ていて、お~、これだこれだ、と感極まったのは、なんと「ベルリン・フィルハーモニー」の建物でした。これ、ハンス・シャロウンの設計ですよ、思い出しました!
1963年に出来たというから今から41年前の建物です。でも、テレビで見ると、手入れが行き届いているのか、黄色っぽい外壁もきれいだし、天井の高いホワイエもまだ真新しい!

僕はドイツへ一度も行ったことがないので、この建物は実際見ていないんですけど、その当時、世界的に話題になった建物なんですよ。コンピューターが今ほど普及していない時代に、なんかよくわからないような有機的な線を使って建物を作り出す魔術師、でした。つまり、平行な線は平面的にも断面的にも、ほとんどないというシロモノ。
もう一つ、彼の設計で有名なのは1959年の作品「ロミオとジュリエット」というカラフルな集合住宅があります。

なんて言うのかな、要するにオーケストラのための音楽堂ですから、よくある舞台と客席といった形式とはまったく違って、演奏する人たちを中心に、周りを不整形な段上の客席が取り囲む、そんな感じ、だから演奏している人の後ろにも客席がある。まあ、写真をごろうじろ!
日本でもサントリーホールがこの形式を取り入れて、音楽関係者の間では音がいいとか評価されているようですが、もとを正せばこのベルリン・フィルハーモニーの建物が原型なんですよ、たぶん。

番組の後半、楽団員の暮らしぶりが映っていました。年収約1000万円、日本のウサギ小屋とは雲泥の差、広い敷地の一戸建てで、息子とサッカーをしていましたが・・・

ということで、テレビを見ながら懐かしい建築を発見しました!

柱は魂の発射台だった!

昨晩は読みふけりましたよ、面白くて、面白くて・・・
なにをって、 決まってるじゃないですか、
ヤリイカ、あっ、違った、ユリイカの11月号
特集*藤森照信・建築快楽主義 です!
ほとんど読んじゃった、斜め読みですけど!

なにしろ表紙の写真が凄いんだ、これが!
今年の6月に完成した「高過庵」、地上6.5mの所に床を組んだという、
高過ぎる床の住宅から「高過庵」と名付けられたもの。
誰しも、少年時代、ターザン小屋、樹木の上にツリーハウスを作ってみたいという願望があったと思うんですが、それが見事にここに結集、出来上がった。デビュー作の神長官守矢史料館のすぐそば、藤森さんの諏訪の実家の畑に作られた。

赤瀬川原平、南伸坊、伊東豊雄、石山修武、等々、の文章が面白い。
増田彰久の白黒写真がさすが、素晴らしい。
自筆年譜や主要著作解題、全建築作品解説も価値がある。

藤森は元々東北大から東大の大学院に入った村松貞次郎の弟子。「明治の東京計画」で博士号を取り、東大生産技術研究所で教職についた歴史家です。が、路上観察学会建築探偵などでメディアを賑わし、いつの間にか、あれよあれよという間に、建築の設計もやるようになってしたったというツワモノ!自邸であるタンポポハウスや、赤瀬川原平の家ニラハウス、天竜市の秋野不矩美術館、等々を設計。そうそう元首相の細川さんの湯河原の工房、不東庵工房も設計してますね。

藤森の人間性について、南伸坊は次のように言う。
天衣無縫である。明朗闊達である。ユーモラスである。食欲旺盛である。」と!
なにしろピカピカの一年生の時に、自分の好きな所に座りなさいと先生が言ったら、並んでいる机の前の椅子に座ってのではなく、なんと窓そのものにお尻を乗せて座った、という人ですから。

ユリイカ11月号、藤森ファンは必見、お宝ですよ。

知らないことは知らない?

昨日タイトルに書いた「秋日和」、あれっ、そんな言葉の使い方、あったっけ?ふと自分で疑問に思い調べてみたら、あったあった、辞書にもちゃんと載ってましたよ、「風が無く、日差しもやや強い秋の晴天。」とありました。まさに昨日はそういう日だったんで、ということで、なんとか胸をなで下ろしました。

その関連で、「小春日和」とはどんな日か?
♪愚痴も言わずに 女房の小春~
いやいや、違いますよ、それとは・・・
辞書には、「小春」とは、暖かくて、いかにも春らしい気分がする意、陰暦十月の異称。小六月(コロクガツ)。とあります。そして「小春日和」とは、陰暦十月のころの(ような)よく晴れた暖かい日和。とあります。春と勘違いしている人が多いんですね。恥ずかしながら僕もそうでした。知らないということは怖ろしい?

「小春日和」は英語では、「インデアンサマー」と言うんですね。
「インデアンサマー」、アンドリュー・ワイエスの作品にもありましたね!
アンドリュー・ワイエス、最近ちょっとご無沙汰ですが、ネットで調べてみると、やってましたよ、熊本県で。2004年10月1日から11月23日まで、丸沼芸術の森所蔵 の「アンドリュー・ワイエス水彩素描展」というのを、熊本県立美術館でやっているようです。う~ん、見たいけど、ちょっと遠い!

それはさておき、またしても電車の中の吊り広告ですが、本屋さんも戦国時代に突入しましたね。

品揃えだけがとりえの愚直な本屋です
ジュンク堂書店 淳久堂書店 新宿で大阪の書店

新宿三越7、8階(紀伊国屋本店前)に10月30日(土)オープン


なにしろ新宿紀伊国屋書店の真ん前ですよ、これじゃ殴り込みですよ!
店内にベンチや椅子がおいてあり、立ち読みならぬ、座り読みが公認されていることで有名らしい?いくつかの店鋪には喫茶コーナーが併設されており、そこへ未清算の書籍を持ち込むこともできるらしい。で、ジュンク堂の名前の由来は、現社長工藤恭孝さんの父「工藤淳」に由来するらしい?これってホント?
関西の人と本の話をすると確かに聞いたことがあるジュンク堂、ジュンク堂へ行けば本は大体揃うとは聞いたことがたぶんあったと思うんですが、僕もつい最近までジュンク書店の存在は知りませんでしたよ。

『ユリイカ』11月号「特集:藤森照信?建築快楽主義」が出たらしい?中沢新一との対談、赤瀬川原平、南伸坊、伊東豊雄、石山修武、といった面々が評論を書いているらしい?
これは期待できそう、さっそく、ジュンク堂書店に行かなくちゃ・・・

秋日和北の丸公園

地下鉄の九段下で降りて靖国通りの坂を上って、お堀を渡り田安門をくぐり、武道館の前を通って科学技術館へ。

北の丸公園、樹木はやや紅葉しかけていて、犬の散歩をしている人、ぶらぶらと公園を散策している人たちが、のんびりとした時間をすごしていました。
そうそう、写真撮影会やってましたよ。いい歳をしたオッサンがいくつかのグループになって、それぞれ若いモデルを囲んで撮影してましたよ。なかには高校生の制服を着たモデルもいましたよ。それってちょっとヤバイかも?その様子を僕もデジカメで撮影しましたが、反射板を持ってる係の人にダメダメと言われてしまいました。

そうそう、と、また話は脱線。武道館では今晩コンサートがあるようで、リハーサルの大きな音を出していました。ダレダレと看板を見たら甲斐よしひろ、え~っ、アイツ、武道館でコンサート開けるの、大丈夫かな?と、もう、時代遅れなんじゃない?でも、やっぱり根強いファンがついてるんですね、武道館でコンサートやれるなんて!

武道館は昭和39年、東京オリンピックの武道会場として作られたもの。設計者は山田守。東大で分離派を結成し、東京中央電信局東京厚生年金病院など近代建築の模範を示した山田守。和風の武道館に引き続き、京都タワーを設計して建築関係者のヒンシュクをかいましたが、今ではそれなりに京都に定着しているのかな?

武道館といえば、やっぱ、ビートルズ日本公演、でしょ!あれは1966年でしたね、昭和41年6月30日、7月1日、2日の5回公演ですよ。内田裕也グループとドリフターズの後、たった35分の日本公演でした。これに関しては書き出したらキリがない。その年の11月にジョンはヨーコの個展で出会うんですね。

そんなことで、科学技術館で行われている「2004弦楽器フェア」なるものに行って来ましたよ。まったくのモンガイカンなので、ちょいと調べてみましたよ、主催者のことを。

日本弦楽器製作者協会とは、
「ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス等のヴァイオリン族、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダ・モーレ等のガンバ族、それに楽弓、そしてクラシックギター、フラメンコギター等のギター族、バロックリュート、ルネッサンスリュート等のリュート族、マンドリン、マンドラ、マンドチェロ等のマンドリン族等の擦弦楽器と撥弦楽器
など、洋弦楽器製作者と修理技術者の会で、今年で47回目、歴史のある「弦楽器フェア」のようです。

どうしてまったく関係のないお前がそんな催しに行ったのかって?
まあ、そこはそれ、いや、ただ単に、招待されたんですよ、ご招待
会場は思った以上に広くそして人が多くて、あっちでもこっちでも弦楽器が鳴り響いていましたよ。熱気ムンムン、何しろ別世界ですよ。過去の会場の様子はこちら。招待してくれた人ともすれ違っちゃったし、会場ではミニコンサートが幾つか組まれていたのですが、時間がなくて聞くことは出来ませんでした。あ~あ、残念無念、絶好に機会を逃がしてしまいました。

オーソン・ウェルズのフェイク

フェイクつながりで・・・

フェイクといえば、誰がなんと言おうと、これでしょう、「オーソン・ウェルズのフェイク」、1975年の映画です。もちろん、監督・脚本・出演:オーソン・ウェルズですよ!

スペイン領イビザ島には2人の有名なペテン師が住んでいた。1人は贋作画家エルミア・デ・ホーリー、もう1人はエルミアの伝記『贋作』を書いたクリフォード・アーヴィング。エルミアについてのドキュメンタリーでインタビューに答えていたアーヴィング自身も、ハワード・ヒューズの嘘の伝記を書いていたことが発覚。さらに第3のエピソードとして、ピカソの贋作事件を巻き起こした美女オヤ・コダールという女性も登場する。

何が嘘なのか、それを見極めることよりも、そんな表裏の世界で戯れる楽しさを教えてくれる。フェイクの天才オーソン・ウェルズが、虚実を織りまぜ、話術工にペテンと詐欺師を物語った“贋物映画”の傑作。

映画の解説などを引き写すと、こんな感じになるでしょうか!

インタビューなどを織り交ぜて、ドキュメンタリー・タッチの映画です。
ストーリーはあってないようなもの?とはいえ、けっこう緻密に構成されている。話は二転三転、どんでん返し、ミニスカートで歩くオヤ・ゴダール、男なら誰でも、ついつい振り返って見ちゃいますよね、ということで、多少のお色気も織り交ぜてあります。

オーソン・ウェルズは、「市民ケーン」や「第三の男」が有名ですが、
この映画のことは知ってる人しか知らない?なかなかなものです。

髭面の巨体に黒の帽子とマントでサントリーのCMにも出てましたね!

そういえば「オーソン・ウェルズ偽自伝」という本、持っていたっけ!
けっこう分厚い本だったけど、本棚の奥に隠れてしばらく見ていないよ。
自分が書いてないのに自伝とはこれいかに?
文藝春秋社刊、1991年発行、「神童の栄光・天才の悲惨、
巨大な天才児が後世に仕掛けたトリッキーな遺書」とあります。

このフェイクがすごい

あの超マニアックな時の人、ママチャリで子供さんを背負いカゴに入れて40数キロ走ってゾウの絵を地上に描くという石川初(はじめ)さん、まあ現代の子連れ狼かな?そんな有名人からトラックバックがありました。トラックバック、なんだそれ?ブログに詳しい知人から、直接本人から?それは凄いことだよ、すぐに返事をしなさい、と言われましたが、なんのことかさっぱりわからない。どうやって返事をするのか、トラックバックを貼り付けなさいと言われても、ただただ困惑。とりあえず貼り付けくれたものを逐一見ておく。

東京ナス化計画」と彼の人となりの全貌が少しずつ明らかになる。どうも調布近辺にお住まいのランドスケープ・アーキテクチャーとかいう職業に就いているらしい?京王線通勤快速都営線直通本八幡行きで通勤しているらしい?もちろん、その時間を利用しての車内観察は怠りない、という人のようである。僕に対するコメントには「ケンチク家も普通の人から見たらマニアックですよね。けっこう。」というもの。いやいや、それは違いますよ。超マニアックな人から言われたら、そんな、僕なんか石川さんの足元にも及びませんよ。

新宿へ行く途中、山手線の中でふと電車の中の「週間SPA!」の吊り広告を見ると、こう書いてあった。深く自戒するところである。

本物も脱帽!か
ニセモノ、パロディ、亜流
このフェイクがすごい
志の低いバッタもんは見習え!? 
 

で、思い出したのが、つい先日見たテレビの再放送のことです。
NHKスペシャル「天才画家・光琳の国宝」謎を解き明かす、というもの。
以前にも見たことがあるんですが、テレビを付けたらやっていて、
またまた偶然、引き込まれるように見ちゃいましたよ。
MOA美術館にある国宝「紅白梅図屏風」のことです。

金箔を張り合わせた屏風にうねった大きな流れがあり、紅白梅が描いてある、というものです。教科書にも載っていたかな?
それが、なんと、東京文化財研究所の蛍光X線分析による化学的な分析の結果、金の存在を確認できなかった、というもの。金箔ではなく、金箔らしく描かれたものだったというのです。金箔を張ると重ね合わせた部分に箔足が出る。金泥を使って箔足を丹念に描いてあったそうです。つまり、別のもので本物らしく見せるという、擬作ですね。
また、流水の謎、銀箔かと思ったら、やはり金属が出ない。しかも、波の模様は着物を染める時に使う型紙を使って描いたいたというもの。
光琳は現代で言えばアート・ディレクター、という役割。光琳一人が描いたのではなく、様々な職人の技法を使って、統括してまとめ上げたもの、ということが出来ます。

光琳の活躍した300年前と言えば元禄文化の絶頂期、金箔を張らずに張ったように見せかける、遊び心いっぱいです。
結局のところ、専門家も長年だまされていた、今までの学説が完全に覆されたという新事実です!
光琳はしてやったりとほくそ笑んでいることでしょう。

秋めいてポーラ美術館

11月3日、文化の日、文化の香りを求めて、かどうかはわかりませんが、急に思い立って行って来ました、箱根の仙石原にある「ポーラ美術館」。出来てから行こう行こうとずっと思っていた美術館です。

新宿から小田急のロマンスカーに乗って箱根湯本まで85分、箱根登山鉄道に乗り換えて35分、これは最大80パーミル(80/1000)の急勾配とスイッチバックによって山を登っていることで有名です。強羅で降りて、バスに乗り換えて木漏れ日の林の中を15分、美術館前に到着。

うんうん、バス停のガラスのキャノピーもなかなかなもの。そしてヒメシャラの林の中に秘やかにたたずむガラスの建築、「ポーラ美術館」ですよ。道路からちょっと下がった美術館玄関へのブリッジのアプローチがこの建物を特徴づけていますね。いいですね。玄関が美術館の2階に当たり、そこからエスカレーターでどんどん下の階に降りていく。中央ホールにはガラスのトップライトから自然光が落ちる、最大の見せ場ですね。そのビューがなんとも言えません、カフェのガラスの向こうにはやや色づいた山々が見えます。展示室は結局のところ、玄関から2フロア下がった地下1階と、その下の地下2階にあることになります。

ポーラ美術館のコンセプトは「箱根の自然と美術の共生」とある通り、「周辺の環境との調和をはかり、建物のほとんどを地下に置いて、森の風景の中に溶け込むような形に」とした設計の意図通りに建物は出来上がっていますね。ちょっと言わせてもらえば、自然の中で人工的な鉄とガラスとコンクリートで完璧に精緻に、あまりにもキチキチに出来ていて、余裕がない遊びがないところが、ややどうかなと思うところですが・・・

美術館は2002年9月に開館、コレクションのほとんどがポーラグループのオーナーである鈴木常司が40年かけて収集した9500点におよぶ美術品から成っているそうです。その中核は、19世紀フランス印象派やエコール・ド・パリなどの西洋絵画400点。他に、日本の洋絵、日本絵、東洋陶磁、ガラス工芸など、幅広いコレクションです。

建築以上に凄いのが展示品です。名品が目白押しです。
開催されていた展示会は「コレクションにみる子どもの世界 フジタ、ピカソを中心に」というもの。子どもの世界、ピカソの「母子像」や「花束を持つピエロに扮したパウロ」、ルノアールの「ムール貝採り」「レースの帽子の少女」、「水浴をする少女」だったか、等々、数は少なかったけどよかったですよ。

レオナール・フジタ、藤田嗣司ですけど、目と口に特徴がある子ども、最初はマンガチックに見えましたが、あれだけ数が集まると圧倒されます。職人に扮した子どもをユーモラスに描いた油彩画の連作「小さな職人たち」、これ、けっこう面白い。「しがない職業と少ない稼ぎ」とあったのには、これって僕だなと、思わず苦笑。

また、コレクションの主だったものを展示してある常設展示場もなかなかなもの。岸田劉生の違うバージョンですが「麗子像」とか、岡田三郎助の女性の後ろ姿の「あやめの衣」とか、ここにあったのか、といったものが何点かありました。

ポーラ美術館は2004年、日本建築学会作品賞を受賞しています。設計は日建設計です。
なんと五反田の駅のホームから目の前に見える「ポーラ五反田ビル」も、同じく日建設計が設計し、1972年に日本建築学会作品賞を受賞しています。

神保町で中国語を

地下鉄の神保町駅から階段を上るとそこはもう神保町の交差点。階段の途中には岩波ホールの上映している映画の大きなポスターが目に入ります。

宮沢りえのポスターですね。岩波ホールでは「父と暮らせば」を上映しています。キャストは宮沢りえ、原田芳雄と、浅野忠信。見た人でいいという人が多いですね。なかにはまどろんだ、という豪傑もいますが。宮沢りえはもうちょっと太った方がいいという人もいます。確かにサンタフェの頃はピチピチとして健康そのものでしたが、いつの頃からか激痩せになっちゃいましたが。

浅野忠信、根強いファンがいますね。「珈琲時光」にも出ているそうですが。白山通りに面するところにある誠心堂書店、主人公の一青窈がよく行く珈琲専門店「COFFEE ERIKA」とか、天ぷらの「いもや」とか、神保町界隈のお店が出てくるらしい?どうということもなく、淡々と時間が流れていく、そんな映画だそうですが。さもありなん、小津安二郎監督へのオマージュだとか!一青窈の歌「ハナミズキ」も、いいですね~

白山通りと靖国通りの交差点に面する岩波ビル、最近1階のテナントが変わったので、前とはちょっと印象が違った感じが。でも変わってしまうと前はなんだったのか、まったく思い出せない。岩波ビルの前の広場で今日は「青空掘り出し市 一年一度100万冊の大バーゲン」の看板が。大声でお客の呼び込みを、まあ青空市だから、正確には呼び込んでるわけではありませんが。ざっと見ましたがそうそう掘り出し物が見つかるわけはない。そこが岩波会場。もう一つ、駿河台下交差点際の三省堂会場はそんなに大きくない。

その間を結ぶのがすずらん通り。知り合いの絨毯屋さん、カフェのようなお店になっちゃってました。まあビルを持ってるから、1階は人に貸して、自分は悠々自適に入ったのか?南側の再開発ビルが出来てから、商店街の人の流れは以前とは変わったのだろうか?あれほどいたネズミたちは何処へ行ったのか?

いつもの通り東京堂書店前のショーウインドウで、ベストセラー本のチェックを。あった、あった、さすがに本屋さんも商売ですね、目に付くところにしっかり飾ってあるよ。舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」なにしろ表紙がピンクで、しかも本のタイトルがチョー恥ずかしい、ときている。最近あちこちで話題になってます。もちろん僕は買いませんよ、そんな本は。

ちょっと早く着きすぎたので、靖国通りのスターバックスでコーヒーなんぞを一杯飲んで一休み。
さ~てっと、今日は知り合いの編集事務所の妙齢の女性、中国の人なんですが、月2回の3ヶ月間、中国語講座をしてくれるということで、神保町まで出てきました。まずは入門編、ア~とかウ~とか声を揃えての発音の練習から。なにしろ覚えの悪い連中ばかりなので、本日の予定「自分の名前を話す、相手の名前を聞く」まで、とても行き着きませんでしたよ。世界の中で1/3の人が話しているという中国語、ニイハオシェシェサイツェン、この三つしか知らない大人が集まって、果たして日常会話位、しゃべることが出来るようになるのでしょうか?

水没の都ベネツィア

お~っ、これはすごいよ、水浸しですね、台風の後の水害みたい。
靴を首からぶら下げて、膝のちょっと上まで水に浸かって歩いてるよ。
これだけ水が出ると、仮設の桟橋はまったく役に立っていませんね。
だって、桟橋の表面まであと10cmですよ、10cm、しかも、桟橋は途切れ途切れですから、結局はどこかで水の中に入らざるを得ない。

AP通信の配布した朝日の夕刊に載っていた写真、
ちょうど大鐘楼の方からドゥカーレ宮殿をバックに、
海の方を見たところの写真ですね、これは。

コメントは素っ気ない、至極簡単。
「31日、水没したイタリア・ベネチアのサンマルコ広場を歩く観光客たち。
137cmという記録的な潮位を記録し、町は混乱。商店も水浸しに=AP」

今年の春、といっても冬かな?2月の終わりから3月の初めにかけて、
行ったんですよ、僕もイタリアへ、そして、ベネツィアへ・・・
もちろん、名物イカスミのスパゲッティ、食べましたよ!

その時は、少し水が出ていたのでサンマルコ寺院に入る時は桟橋を使いました。寺院の中も当然水浸しでした。サンマルコ広場はなんとか大丈夫でしたが、用心のためか仮設の桟橋が積み重ねて置いてありました。そうそう、日影のところは雪がうっすらと積もっていました。寒かったな~

以前、ベネツィアに行った時は夏だったので水没していませんでした。冬場はサンマルコ広場は水没すると聞いていたので、水没した景色を見たかったので、ちょっと期待はしていたのですが、でも写真のように水かさが増すと観光客はホント、困っちゃいますよね。もちろん、それ以上に町の人も困っているでしょうけど!

サンマルコ広場に面している、カルロ・スカルパの設計で有名なオリベッティのショールーム、今回行った時には様変わり、画廊だか土産物屋だかに変わっちゃってたよ。壁という壁には絵やなにかが所狭しと飾ってあり、これにはがっかりですよ。初恋の人がオバチャンになってたような感じ?って、たとえが全然違うか!

あっ、そうそう、スカルパは仙台で1978年に急死したんですよ。

そういうわけで、スカルパの空間のよさが半減、例のプレコンで積み重ねた階段もちゃんとは見えなかった。2階にも行けなかったし。以前はお店の中は自由に入って行けたんですよ。内部の写真は前に行った時に、2回、しっかり撮ってあるから、まあいいかっ!でも、スライドだから困るんですよ、デジカメ時代にはついていけないので?

1958年に出来た時から、タイプライターのショールームとして機能したのはごくわずかの間だったと思います。すぐにワープロ、パソコンに取って代わられてしまったのですから。その後長い間、ただオリベッティのショールームとしてだけ存在していたんですね、この店舗は。これも凄いことだと思いません?でも、小さなこのショールームはその役割が終わった後も、デザイン的な価値から、オリベッティはなかなか閉鎖に踏み切ることが出来なかったようです。

商業的な建築はどうしてもそういう宿命が付いてまわるんですね。
って、あまり結論めいたまとめの話にはなってないですね、ほとんど!

女性はめっぽう強い

「文芸賞」の授賞式で、受賞した『人のセックスを笑うな』の著者、山崎ナオコーラが「私の小説を楽しみにしてください。いま読んでおくと、後で、『あの人は最初から目をつけていた』と言うことができます」と、居並ぶ文学界のそうそうたる面々の前で強気な挨拶をしたそうです。

一見、作家の名前からしても小説の題名からしても人を小馬鹿にしていて、世間をナメきっているように思えます。が、これがまた不思議なことに、小説自体は概して「文芸賞」の審査委員には好評だったようです。って、読んでないおまえがなにを言うかと、お叱りの言葉が飛び交いそうですが・・・

それを受けて、かどうかはわかりませんが、審査委員の田中康夫長野県知事も挨拶に立ち、「地方起こしにも文学にも、バカモノヨソモノワカモノが必要である」と述べたそうです。確かに新しいことは、新しい人が突然参入して開拓するんですね。いやいやライブドアと楽天のプロ野球新規参入の話題ではありませんよ!

以前よく言われたパラダイムシフト、あれなんかも凝り固まった科学的思考の世界からは何も出てこない、別の分野のヤツの固定観念にとらわれない発想がパラダイムの転換を行うんだと、確か誰かが、そうそう、トーマス・クーンが「科学革命の構造」の中で、そんなことを言っていたような記憶があります。って、これもまったくのうろ覚えですが。ノーベル賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんなんかもそうですね!

京都には島津製作所以外にも特徴を持ったベンチャー企業が多いですね。例えば、京セラや、ワコール、任天堂、村田製作所、等々、どうしてなんでしょう?あれれ、話が変わっちゃいますよ、これでは。

そんな難しい話をここでしたいわけではなく、ただ単になにごとにも女性の力が強くなってますね、と言いたいだけなんですが。そんなこと、言わずもがな、当たり前か~。なんだか最近は、女性の書いたもので、しかも傑作ばかり読んでるような気がします。男性の書いたものでは、沢木耕太郎の「無名」、一冊だけですね~、読んだのは。

笙野頼子の『金比羅』、俵万智の『トリアングル』がいいらしい?
一方は産まない選択を、他方は産む選択をした女の物語、のようです。
そうそう、万智チャンのものは最近では、荒木とよひさとのラブレターのやりとりを書いた「恋文」、思わず赤面しながら読みましたよ!

ともあれ、かつては女流文学などと揶揄された分野も、斉藤美奈子チャンが上手くまとめた「L文学完全読本」、まあ、それとはちょっと違うかも知れませんが、川上弘美や小川洋子など、はたまた前回芥川賞を受賞した20歳19歳の綿矢りさや金原ひとみ、等々、これも挙げればキリがない、近年、なにしろ文学の世界では女性はめっぽう強い!