小説家・大江健三郎と建築家・原広司の関係 | 三太・ケンチク・日記

小説家・大江健三郎と建築家・原広司の関係


大江健三郎の最新刊、「さよなら、私の本よ!」を購入し、読み始めています。義兄の伊丹十三が亡くなってから書かれた「取り替え子」「憂い顔の童子」に続く作品です。本の帯には「絶望からはじまる希望」と書いてあります。ところでこの本、カバーが建物の屋根の鼻先のようなものが描かれていて、本を開くと、雨樋の取り付け図のような部分と鉄骨の柱のようなものが描いてあります。不思議に思って「装画」の項をみると、そこには原広司「ディスクリート・シティ」より、と、記入がありました。そうか、これは原広司が使った詳細図、あるいは施工図の一部であり、それを「装画」として本のカバーや表紙に使ったんだ、ということがわかりました。ノーベル賞受賞作家の大江健三郎と建築家の原広司、共に東京大学卒業、ほぼ同年代で、旧知の仲のようです。



原広司は1936年生まれ東京大学数物系大学院建築学専攻博士課程修了後東京大学生産技術研究所教授を長らく勤め、1997年に東京大学を退官しました。設計活動は、原広司+アトリエ・ファイ建築研究所として行ってきました。原広司が発表する建築は常に話題に満ちています。それは常に新しい建築を模索し開発するチャレンジ精神に満ちているからです。初期の「粟津邸」や「自邸」からして“都市を埋蔵する”と言うし、「梅田スカイビル」では連結超高層、「JR京都駅ビル」ではジオグラフィカル・コンコースで谷をつくり、「札幌ドーム」ではグランドが建物に出入りするというアイディアで世間の注目を引きました。1970年代に始めた世界の集落調査が、原広司の建築活動のベースになっています。


1988年に刊行された岩波新書赤版の一冊目、「新しい文学のために」で大江は、①[あらゆる部分]。②[同じもの]。③[場所に力がある]。④[離れて立つ]離れて立て。⑤[すべてのものにはすべてがある]。⑧[伝統]ある場所の伝統は、他のいかなる場所の伝統でもある。⑩[矛盾]矛盾から秩序を育て上げよ。⑮[混成系]。を取り上げて、「新しい書き手へ」と一章をもうけています。時間軸で比較してみると、まだ単行本が出ていない段階、建築の専門誌「建築文化1987年4月号に、原の文章が掲載された時点で、大江が着目していたことがわかります。



1992年に、大江の故郷の中学校、高知県喜多郡内子町大字大瀬子にある、内子町立大瀬中学校が、原広司の設計で完成しています。この学校は生徒数84名、学級数3、職員数15名といった小さな中学校です。もちろん原は、大江の著作を丹念に調べ上げ、要所を内子町の実際の地図上にプロットする作業を行ってから、中学校の設計に入りました。その中学校の建築は「燃え上がる緑の木」の中で、重要な舞台となる礼拝堂として登場しています。物語の中では原をモデルとした人物が「荒さん」という名前で登場するほどです。



宙返り」の下巻、第17章に「場所には力がある」という章があります。そのなかで、引退した中学校長婦人のアサさんが、次のように言います。「私がテン窪で若い人たちのされることに惹きつけられますのはな、ここを設計された建築家がいわれたことですが、《場所に力がある》せいなのじゃないか?私も、場所の力ということはある、と思うんですよ。このあたりにも昔から土地の力という言い方はあるのですか・・・」


内子町立大瀬中学校

集落の教え100」は、たとえば、こんな具合に続きます。
[4]離れて立つ
離れて立て。
[12]不動なるもの
集落が好むのは、不動なるものではない。絶えざる変化であり、展開である。
[13]複雑さ
複雑なものは単純化せよ。単純なものは複雑化せよ。
その手続きの複雑さが人の心をうつ。
[16]共有するもの
人間が意識の諸部分を共有するように、諸部分がそれより小さな諸部分を共有するようにして、集落や建築をつくれ。
この方法が幻想的な世界の基礎である。
みんなでつくらねばならない。みんなでつくってはならない。
[17]飛び火現象
遠く離れたところで、似たことが考えられ、似たものがつくられている。同様に、遠い昔に、いま考えられていることを誰かが考えた。
[19]差異と類似
集落のあいだで、建物のあいだで、部屋のあいだで、差異と類似のネットワークをつくれ。
[21]物語
集落は物語である。集落の虚構性が、現実の生活を支える。


大江と同年代の建築家原広司は、長年にわたる世界の集落調査にたって「集落の教え100」を書きました。それは原の世界観と建築理論の要約ともいえますが、旅する建築家が静かに頭をたれつつ、集落の発する声に耳を傾け、それを書き留めたものでもあります。


「集落への旅」原広司著  岩波新書[黄版374]1987年
「新しい文学のために」大江健三郎 岩波新書[赤版 1]1988年


「集落の教え100」
著者:原広司  
発行所:彰国社
1998年3月30日第1版発行
定価:本体2500円+税